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男のためいき女の寝息26

时间: 2020-02-04    进入日语论坛
核心提示:「出会い」という言葉について「出会い」とか、「ふれあい」とかいった言葉が、そんなに好きじゃない。自分では意識していなかっ
(单词翻译:双击或拖选)
「出会い」という言葉について

「出会い」
とか、
「ふれあい」
とかいった言葉が、そんなに好きじゃない。自分では意識していなかったけれど、拙著『冗談の作法』を文庫化するにあたり、作家で訳豪こと翻訳家の常盤新平さんに解説をお願いしたところ、
〈このエッセイ集に「出合い」とか「ふれあい」とかいった、ふやけた言葉が一つもない〉
と書かれ、ひどく恐縮したことがある。
じつは、この文章も、
「テーマは�出会い�です」
というので、いったんは断ったつもりだった。が、担当者に、
「断りのハガキを読んでない」
と泣きつかれ、慌てて書いている始末。
「それもまた�出会い�だ」
というんなら、何をか言わんや——だ。
白状すると、以前にも似たような経験をしているのである。
あれは、たとえば「嬉しくないと言ったらウソになる」というように、
「……じゃないと言ったら、ウソになる」
といった言いまわしが流行《はや》っていたときだった。飲み屋のママに、
「あんたの文章には、あれがないから信用できるような気がする」
と言われて、ヤニさがっていた。
ところが、家に帰ってから自分の書いた文章を読み直してみて、ビックリした。ママが嫌っている「……じゃないと言ったら、ウソになる」といった言いまわしが随所に出てくるではないか。
次の日、
「せっかくホメてくれたようだけれど、読み直してみたら、オレもけっこう使っていることがわかったよ」
と言ったら、
「でも、少ないほうよ」
と、ヘンな慰められ方をしたのを覚えている。
「出会い」
という言葉がそんなに好きじゃないのは、この言葉さえ用いれば、何事も説明できてしまうみたいなフンイキがあるからだ。早い話が、わたしが友人の生島治郎に接したのも、師匠である高木健夫先生の門を叩いたのも、
「すべて出会いだ」
と片づけられたんじゃ、世の中、面白くもナンともない。
わたしはわたしなりに努力して、生島なら生島の友人たろうと、高木先生なら高木先生の弟子たろうとしてきたつもりだし、生島や高木先生もまた、同じだったろう。それが、無闇矢鱈《むやみやたら》に「出会い」という言葉を振りまわすと、そんな思いはたちまち潰《つい》えてしまいそうで、わたしは、いつも躊躇《ためら》っているのである。
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