つい最近まで、
「テレビはお父さんで、電気冷蔵庫はお母さんだ」
とばかり思っていた。いや、ホントウの話である。
たとえば、家族そろっての食事どきだ。茶の間で、いつも家の中心にデンと坐っているのは、テレビではないか。
食事中も、きまってテレビが喋っている。わたしたちは、それに目を向け、耳を傾けながら、ただ黙々と箸を運ぶ。
たとえば、子供が学校から帰ってきたときだ。台所で、いつも優しく子供たちを迎えてくれるのは、冷蔵庫ではないか。
ふつうなら「腹へったよ、お母さん」というところを、彼は黙って冷蔵庫の扉をあける。すると、ちゃんとオヤツが用意してある。
そんなわけで、わたしは、
「テレビはお父さんで、電気冷蔵庫はお母さんだ」
と考えていたのだ。テレビさえあればホントのお父さんは要らないし、冷蔵庫さえあればホントのお母さんも要らない……。
ところが、最近になって、俄然そうではないことに気がついた。男にとって、テレビはホステスで、電気冷蔵庫はお手伝いさんではないのか!
早い話が、食事どきである。ちかごろは、なぜか「家族そろって晩飯」なんてことは滅多にない。子供は子供で勝手に食べる。女房は自分の部屋にこもったまま、出てこない。
そこで、男は独りで晩酌をやる。その相手をしてくれるのは、もっぱらテレビである。
だから、ニュース番組でもナンでも、女性のアナウンサーが話しかけてくれるのを、彼は心待ちするようになった。彼女が画面一杯にアップになると、つい頬のほうも緩んでくる。
早い話が、夜中に目がさめたときである。女房に水を頼んだところで、持ってきてくれるわけがない。ノドは乾いている。なんでもいいから飲みたいなと思う。
そこで、男は独りこっそり台所に入る。もちろん、待っていてくれるのは、冷蔵庫だ。
なんだか、お手伝いさんの部屋に忍び込むような感じで、いささかうしろめたい。最初は水を飲むつもりだったのが、それこそビールでも飲まなければ、彼女に申しわけないような気持ちで、ビールを飲む。