電車に乗る、押される。ラッシュアワーならイザ知らず、ちかごろはラッシュを過ぎた時間に乗っても、うしろから押されるようだ。
振り向くと、腰のあたりに他人のショルダーバッグが当たっている。そっとずらすのだが、相手は直接こっちの体に触れていないので、気がつかない。平気な顔をしている。
流行なのだろうか? 電車の中で、ショルダーバッグを肩に掛けているサラリーマンが、やけに目につく。若い人たちだけでなく、けっこう年輩の人も愛用しているみたいだ。みんな、申し合わせたように、左の肩から下げている。
たしかに、ショルダーバッグには、週刊誌やら文庫本やら、あるいは折り畳みの傘やらノートやら、たいがいの小物は入ってしまう。おかげで、ともすれば膨らみがちな背広のポケットも、ホッと一息ついている。
そんなところから、サラリーマンの必需品に近くなったのだろう。このショルダーバッグのことを「小市民の制服だ」と言った評論家もいる。彼は「小市民は制服を着ることによって安心する。つまりショルダーバッグを左肩から掛けることによって安心をする」と書いている。小市民すなわちサラリーマンのことである。
しかし、このショルダーバッグが、電車に乗り合わせた他人の腰のあたりを押すのである。もちろん、悪意はないのだろうが、自分で押していることに気がつかないだけ、始末にわるい。
——と、そんなふうに考えているうちに「これは、制服なんかではなく、サラリーマンの自己主張のための道具ではなかろうか」ということに思い当たった。彼らは、気がついていないフリをしているだけで、ホントは気がついている。なぜなら、彼らもまた、押されているにちがいないからだ。そう、世の中は、押しつ押されつ……なのである。