名曲すぎても、いけない。つい聴き惚れて、手のほうが留守になってしまうからだ。
さりとて、喧《やかま》しいばかりの曲も、まずい。いわゆるカワイコちゃん歌手の歌も、ご免こうむる。聴いてるうちにイライラしてきて、仕事にならないからだ。
なーに、エラそうなことを書いたが、新聞の切り抜きをやるときに掛けるテープのことである。いまは、たとえば小鳩くるみさんの愛唱歌を繰り返し掛けている。
——朝飯を食べ、NHKの朝のテレビ小説を見たあとは、裏の仕事部屋にこもって新聞の切り抜きをはじめるのが、十年来の日課である。新聞は、前の日に目を通した新聞を切り抜く。
朝日、毎日、読売、サンケイ、東京、神奈川と、それに日本経済新聞の七紙だ。朝夕刊まとめての切り抜きだから、たいへんである。
それも、連載中の小説を一日遅れで読んだり、前の日に読んでいなかった特集記事を拾い読みしたりしながらの切り抜きなので、かなり時間がかかる。コラムのネタになりそうな記事や個人的に興味をそそられた記事などを、定規とカッターで適当に切り抜いていく。
もちろん、自分が書いた文章や自分のことが書かれている記事は、最優先である。これらは、丁寧に切り抜き、専用のスクラップブックに貼る。
それにしても、作業そのものは単純だから、すぐに倦《あ》きがくる。そこで、カセットテープの音楽を小さく流しながら切り抜くことにしたのである。
いうなれば、バックグラウンド・ミュージックだ。トーゼンのことながら、荘重なクラシック音楽などは敬遠して、軽い唱歌とか歌謡曲とかを流す。
これらも、新曲だったり、とくに贔屓の歌手の曲、思い出のある曲だったりすると、困る。それこそ、
「みんなが知っている歌、懐かしい歌」
といったところが、ちょうど手頃である。
さいわい録音に凝っている人がいて、東海林太郎、上原敏、岡晴夫、田端義夫、霧島昇、松平晃といった歌手たちのレコードからテープをとり、贈ってくださった。東海林太郎だけでも一本のテープに十八曲、上原敏に至っては二十六曲だ。
このテープ一本をウラおもて掛けたところで、だいたい切り抜きも終わることになっている。言っちゃナンだが、朝っぱらから優雅なもんである。
このあいだは、父親の百ヵ日の法要のときに録音してきた菩提寺の和尚の読経を掛けてみた。自分で言うのも恥ずかしいけれど、これがまたバックグラウンド・ミュージックにぴったりで、気持ちは落ちつくし、仕事は捗《はかど》るし……。
ホント、意外な発見だった。