「困りましたなあ」
そう言って、相手は天を仰いだ。先日、某国に�国賓�として赴くことになり、仲介に入った人物から、
「名刺をみせてくれませんか」
と言われ、名刺を出したときのことである。
自慢じゃないが、わたしの名刺には、いわゆる肩書きなるものが書いてない。通称であるペンネームと郵便番号・住所・電話番号が刷ってあるだけだ。
この肩書きナシの名刺には、ホロ苦い思い出がある。あれは、女性誌の仕事で、のちに国民的タレントとなるカワイコちゃん歌手をプロダクションに訪ねた際だから、十何年も前のこと——
応対に出た社員が、わたしの差し出した名刺を手に取って返すと、
「なんだ、こりゃあ!」
大声を挙げている。
「社長! この男の名刺には、雑誌社の名も、何も書いてありませんぜ。こういうのが、ヘンな記事を書くんじゃァありませんか」
幸か不幸か、わたしがインタビューに行くことは、女性誌から社長に連絡が入っていたので、わたしは辛うじて彼女に会うことができたが、肩書きナシの名刺の効用なんて、そんなものだ。以来、わたしは、ある先輩の、
「諸君! 名刺で仕事をするな」
という教訓を、精神論として受け止めている。
それは、まあ、ともかく——
某国を表敬訪問するにあたって、仲介の人物から、
「なんとか、当日までに公職入りの名刺を作ってもらえないか?」
と言われて、わたしは、頭を抱えた。その国が、この国とは国交のない国だからである。
しかも、知らなかったけれど、その国は、この国以上に名刺の肩書きがモノを言うところらしいのだ。現地では、滅多に会うこともできない高官に拝謁するのだし——と、仲介に入った人物は真剣だった。
その情にほだされて、
「わかりました。要するに肩書き入りの名刺を作ればいいんでしょ、作れば……」
安請け合いしたときの悪い癖で、わたしは、
「それなら、いっそのこと、ありとあらゆる肩書きを刷ってやれ」
と考えていた。そして、恥ずかしながら、近所の名刺屋さんに作ってもらった名刺には——
ひとつ
ふたつ
みっつ
よっつ
いつつ
むっつ
ななつ
やっつ
ここのつ……もの肩書きが刷ってある。なかには「日本推理作家協会理事」なんて怪しげな肩書きもあるけれど、いくつかは県や市に委嘱された公職である。
「これで、いいだろ?」
言っちゃナンだが、百枚も刷った名刺は、たった五枚しか使われてない。