思わず、
「なにも幸せな人をこれ以上幸せにすることはなかったのに……」
と口走っていた。審査員としてはあるまじき態度だったかも知れないが、半分は冗談で、もちろん、半分は本音である。
先日、昭和六十一年度の「日本作詩大賞」に、中山大三郎作詩・作曲の『ゆうすげの恋』を選んだときのことだ。この歌をNHKホールのステージで歌ったのが、つい最近森昌子さんと結婚したばかりの森進一さんだったから、わたくし、いささかのヤッカミをこめて、そう申し上げたのだ。
日本作詩家協会(西沢爽会長)が主催する作詩大賞の最終審査は、ことし(一九八六年)も国語学者の金田一春彦先生を委員長に、作詩家の井田誠一さん、国立歴史民俗博物館教授の小島美子さんら十人で行われた。本因坊の武宮正樹さん、直木賞作家の皆川博子さん、衣装デザインのワダエミさんらに混じって、わたしもその一人だったのである。
常套句ながら、審査は厳粛なうちにも華やいだフンイキで行われた。なにしろ、作曲家の芥川也寸志さんなどは、女優の市毛良枝さん、漫画家の里中満智子さんに囲まれての審査なので、ずいぶんご機嫌だったみたいだ。
キモノ姿の市毛さんは、テレビで見るよりは遥かに綺麗だった。審査を終えたあと、これまた和服姿の武宮さんがサッと握手を求めにいったのを指をくわえて眺めながら、わたしは、去年だか一昨年だかの審査の日のことを思い出していた。
そのときは、女優の真野《まの》あずささんが審査員だったが、わたくし、控室で彼女をみつけるやツカツカツカと近寄って、
「しばらく」
つい声をかけた。すると、真野さんは、
「は?」
首を傾げたが、その時すでに、わたしはお姉さんの真野《まや》響子さんと間違えたことに気づいていた。
「失礼、間違えました」
「やはり、姉に?」
「ええ」
間違えておいて言うのもナンだけれど、響子さんとあずささんは、二人並んだら、あんまり似ていないだろう。が、あずささんひとりに接すると、これがフシギに、何年か前の響子さんにそっくりなのである。
そう言うと、
「そうなんです」
あずささんも認めてくださったので辛うじて面目を保ったが、どう考えても、あれは軽率な行為だった。以来、わたしは、
「審査当日は、めったなことでは美人に声をかけまい」
と、自分に言い聞かせちゃったもんだから、市毛さんには挨拶もできず、残念なことをした。
ところで、審査の模様はテレビのナマ中継で放映されたが、翌日、悪友たちから電話がかかってきていわく、
「おい、オマエ、ナマイキにいい背広着ていたなあ」
ナカソネ首相に言わせると、この国の女性たちは、話の中身など聞かずにネクタイしか見ていないそうだけれど、どうやら、この国の男性たちだって、審査の模様なんか見ずに背広ばっかり見ているようだ。