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男のためいき女の寝息44

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:ものごとの審査は某日、読売新聞夕刊の芸能欄を読んでいてビックリした。あの森進一が歌う『ゆうすげの恋』の詞に、「誤りあり!
(单词翻译:双击或拖选)
ものごとの審査は……

某日、読売新聞夕刊の芸能欄を読んでいてビックリした。あの森進一が歌う『ゆうすげの恋』の詞に、
「誤りあり!」
との投書があった——という記事が載っていたのである。
投書の主は、歌人と思われる匿名の一読者で、
〈「ゆうすげの恋」の詞で、ユウスゲが「朝に散る」とあるのは「昼ごろしぼむ」の間違いだ〉
と指摘したうえで、
〈間違った詞のまま歌われつづけると、この花を知らない人、とりわけ子供がそう思い込んでしまいかねない。だから、作者も歌手も慎重に作品に取り組むように〉
と書いてあったらしい。記者が専門家に尋ねたところ、
「確かに指摘のとおり。ユウスゲは昼過ぎまで咲くことがあり、花が実を結んで散る時期は不定」
という。
いやあ、恥ずかしかった!
——というのも、中山大三郎作詞・作曲、森進一歌唱の、
※[#歌記号、unicode303d] ゆうすげは 淡い黄色よ
夜に咲き 朝に散る花
という、この『ゆうすげの恋』は、一九八六年(昭和六十一年)の日本作詩大賞を受賞しており、わたしも、その審査員の一人に名を連ねていたからだ。
言っちゃナンだが、わたし自身は、この作品を大賞に推すのに反対したものの一人だった。が、わたしが反対したのは、この投書の主みたいに、
「詞に誤りがある」
というような、きちんとした理由からではない。
ただただ同業の森昌子さんと結婚し、彼女に歌手であることをやめさせてしまった森進一が羨ましくも憎らしかっただけだ。それこそ、居並ぶ審査員のみなさんに、
「なにも、幸せな男をこれ以上幸せにする必要はないじゃありませんか」
と叫んで、女性審査員の一人に、
「まあ、あなた、妬《や》いているのね」
と笑われたほどだった。
くやしいけれど、わたしは、泣いている。ホント、森進一が昌子チャンと結婚することはいっこうに構わないが、
「森昌子に歌手であることをやめさせる」
というのが、わたくし、どうしても気に入らないのだ。
「結婚したって、子供を産んだって、あるいは、離婚したって、歌いつづける」
わたしは、それが歌だ! と思っている。それがプロの歌手だ! と思っている。
そんなわけで、彼が歌う『ゆうすげの恋』を作詩大賞に推すのは最後まで反対したのだが、衆寡《しゆうか》敵せず、わが意は通らなかった。
ところで、いまにして思う。なぜ、あのとき、
「ユウスゲは、どんな花か?」
ということを、百科事典なり、歳時記なりで調べなかったんだろう——と。
[#1字下げ]ユウスゲ[#「ユウスゲ」はゴシック体] キスゲとも。ユリ科の多年草。本州〜九州の山地にはえ、庭にも植えられる。葉は根生し、二列に並ぶ。夏、高さ一メートル内外の花茎を立て、数個の芳香のある花をつける。花は長さ一〇センチ内外、漏斗形で淡黄色、基部は細い花筒となり、夕方から翌朝にかけて咲く。
[#地付き]平凡社『小百科事典』より
 さて、結びの、
「夕方から翌朝にかけて咲く」
という一行がモンダイだ。正直な話、これを読んだだけで、
※[#歌記号、unicode303d] ゆうすげは 淡い黄色よ
夜に咲き 朝に散る花
という歌詞に疑問を抱け——というのは、無理だろう。
しかし、
「そういえば、いまは亡き高木健夫先生は、信州の諏訪にあって、ニッコウキスゲの花を愛《め》でていらっしゃったな」
と思いながら、先生の歌集『阿弥陀残照』(永田書房)を開いて、キモを潰した。先生は、似た種類のニッコウキスゲはおろか、ユウスゲもまた、何首も歌に詠んでいるのである。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
夕すげの黄なる花びら酢に漬けて酒酌むわれの高原の幸
夕すげの黄花が一つ二つ消えわが高原の夏逝かんとす
夕すげの黄花|乏《とも》しく高原に秋の兆《きざし》の孔雀舞ふなり
夕ざれば独り酌むなり二杯酢のゆうすげの花の黄をば愛でつつ
[#ここで字下げ終わり]
それにしても、審査員になるのは、たいへんなことだ。これからも、なにかと審査を頼まれることもあるだろうが、
「ものごとの審査には、心して当たらにゃいかん」
あらためて思ったことだった。
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