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男のためいき女の寝息51

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:どっちつかずいわゆる下町の、商人の子だった。金物屋の息子である。近所には、カフェーもあり、射的場も活動小屋もあった。幼稚
(单词翻译:双击或拖选)
どっちつかず

いわゆる下町の、商人の子だった。金物屋の息子である。近所には、カフェーもあり、射的場も活動小屋もあった。
幼稚園へ行くのは�お金持ち�の子に決まっていたから、幼稚園なんか知らなかった。遊び相手がみつからず、店のまわりでグズグズしていると、
「ジャマだから、活動でも見ておいで!」
と、おふくろに叱られた。
活動小屋にしたって、二番館か三番館である。わたしは、そこで片岡千恵蔵さんの「森の石松」や「宮本武蔵」に胸をワクワクさせていた。
小学校に上がったのは、横綱・双葉山が安芸ノ海に敗れた年か? もちろん、戦前のことである。
困ったのは、家の前の道ひとつ距《へだ》てて、上がる学校がちがうことだ。いつも仲良く遊んでいた肉屋のヒロシは近くのK小学校へ行くのに、わたしはちょっと遠いM小学校へ行かなければならない。
いまはどうか知らないが、そのころ、隣の学校の生徒同士は仲が悪かった。二、三人で出会《でくわ》したりすると、お互いに相手の学校の名を挙げ、
※[#歌記号、unicode303d] ××学校 いい学校
上がってみたら クソ学校
一年二組の先生は
イロハのイの字も知らないで
黒板たたいて泣いていた
と囃《はや》し合う。
いいも悪いも、それが挨拶なんだから仕方がない。わたしたちは、街で隣の学校の生徒とすれちがうたびに、
※[#歌記号、unicode303d] ××学校 いい学校
と囃しては、アカンベをしたり、唇をとんがらかしたりしたものだ。
トーゼンのことながら、テキのグループの中には、ヒロシもいる。幼馴染みどころか、別々の小学校に上がっても、学校から帰れば一緒にメンコや石蹴りをして遊ぶ仲のいい友だちである。
でも、わたしたちは、学校の帰りに制服ですれちがったときなど、そんなことオクビにも出さず、
※[#歌記号、unicode303d] ××学校 いい学校
と、やりあった。言っちゃナンだが、小学一年生でもウラと表ぐらい使い分けることができたのだ。
それに、もう一つ。学校に上がってビックリしたのは、担任の先生から、
「ひとりで映画館に行ってはいけない」
と言われたことだ。
母親は「ジャマだから、活動でも見ておいで!」と言い、学校の先生は「ひとりで映画館に行ってはいけない」と言う。母親の言うことを聞けば先生に叱られるし、先生の言うことを聞けば母親に怒られる……。
右にしようか、左にしようか。わたしは、子ども心に、ホントに悩んだ。わたしが、いまでも�どっちつかず�の人間であるのは、たぶんこのときの体験がそうさせているにちがいない。
どっちつかず——
それは、
「どっちの立場にも立つことができる」
ということだ。わたしは、いま、あのときの体験を心から感謝している。
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