「特技は?」
と訊かれたら、
「いつでも独りになれること」
と答えようかな——と思う。たとえ大勢で酒を飲んでいても、わたくし、居ながらにして独りになれるのである。
自分でも、
「あまりいい性格じゃない」
ということは、わかっている。が、わかっていたって、どうにもならない。言っちゃナンだが、それが�性格�というものだろう。
いつだったか、誰かの受賞パーティかナンかに出席して、いつものように隅っこのほうで飲んでいたら、
「どうしたんですか?」
と、声かけられた。
「なんだか浮かぬ顔していますよ」
言われて、
「シマッた!」
と、心の中で、舌打ちした。いつのまにか独りぼっちになっているという、いつもの悪いクセが出ていたのだ。
とっさに、
「いや、なんでもない」
と頭《かぶり》を振ったのだが、このへんがまだ修行の足りないところである。いつでも独りになることができたところで、そいつを他人に気取《けど》られてはナンにもならぬ。
辛うじて、
「受賞したのは、わたくしじゃないもんですから……」
ヘタな冗談を言ってその場を逃れようとしたら、
「そりゃ、そうですな」
ヘンに感心され、かえって慌てた。こんなこと、マトモに受け止められちゃ、かなわない。
商人の子だから、愛想《あいそ》専一に育てられたはずだったが、出入りの職人に、
「あんたが注文をつけるときは、顔まで怒ってる」
と言われたことがある。
「うん?」
「その点、オヤジさんはエラかったなあ。死んだオヤジさんは、オレたちに注文をつけるとき、顔は笑ってた」
「ウム」
「それで、オレたちは、気がついたらオヤジさんの言う通りになってたもんだ」
自慢じゃないが、それができないから商人になることを諦めて、サラリーマンになったのだ。ついでにサラリーマンのほうはクビになって、一人でもやれるモノ書きになっている。
ところが、一人でもやれるモノ書きになって、気がついた。この、いつでも独りになれる特技が、そんなに活きないのである。
だいたい、
風呂場
便所
寝室
といった場所が、ふつうは独りになれる場所だろう。わたしの場合は、それに仕事部屋が加わる。
恥ずかしい話だが、大勢の中にいるときはいつでも独りになれるのに、げんじつに一人ぼっちになれる場所に入ると、なぜか落ちつかない。風呂場や便所や寝室にいるときはもちろん、仕事部屋にいるときも、妙に人懐かしくなって、困ってしまう。
そんなわけで、わたしが真に一人っきりになってリラックスできるのは、大勢の中にまぎれているときかも知れぬ。ナマイキなようだが、その大勢は、気の合った大勢であろうと、気が合わない大勢であろうと、カンケイない。
不覚にも、杯を手に、立ったまま眠っていたことがある。義理で、どうしてもつきあわなければならぬパーティだった。
このときも、仲間にみつかって、
「なにも、それほどまでしてつきあわなくてもいいのに……」
と言われたが、
「いや、こうやって無理していたほうがラクなんだ」
と答えたら、
「そんなものかねえ」
仲間は、ホトホト呆れてた。