なんといっても、いちばん気が合うのは、自分である。それは、みんなして出かけた旅先でも変わらない。
俗に、
「旅は道づれ」
というけれど、わたしはこれに「自分づれ」というのを加えて、
「旅は道づれ自分づれ」
というふうにもじりたい。
——朝が早い。このクセばかりは、旅先でも直らない。前の日、どんなにおいしい地酒を、どんなに遅くまで飲んで、騒いでも、朝は六時には目がさめている。
そんなとき、わきに誰か寝ていようものなら、起きるに起きられず、しばし悶々《もんもん》とする。やがてガマンできなくなり、そっと抜け出して、ひとり散歩に出るのが、常である。
先日も、悪友たちと三重県の湯ノ山温泉に旅して、彼らが眠っている間に、始発のロープウエーで御在所山まで登り、みんなをシラケさせた。彼らが朝飯の席につくかつかないうちに宿に戻って「朝飯前」と称していたからだ。
悪友たちに言わせると、
「ホントはイビキがスゴくて、それで抜け出すんだろう」
ということだが、じつをいうと、それもある。わたしは、自分のイビキで同室の友人を起こしやしないかと、それが心配で、夜もオチオチ眠れない。
されば、わたしがいう「旅は道づれ自分づれ」は、つまり「旅は道づれイビキづれ」でもあるわけだ。