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男のためいき女の寝息66

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:正月の味こんなふうに、いつでもモチだのホウレンソウだのが食べられるようになると、「正月三ガ日だから、お雑煮」というのも、
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正月の味

こんなふうに、いつでもモチだのホウレンソウだのが食べられるようになると、
「正月三ガ日だから、お雑煮」
というのも、なんだかヘンだ。まして、おせち料理なんか、出る幕はない。
おせち料理——
モノの本によると、
「組重の事、数の子|田作《ごまめ》たたき牛蒡《ごぼう》煮豆等通例、其外何様の品候哉」
という質問があって、ほとんどの地方が「その通り」と答えているそうだから、いまも昔も、あんまり変わり映えがしない。言っちゃナンだが、数の子って、そんなにうまいもんですか?
あんなもん、あんなふうにモッタイぶられるからうまいような気がするが、さて、ホントのところは、どうだろう? わたしなんぞは、女房を相手にするのとおんなじで、もう、どうでもいいような気分である。
だいたいが、おせち料理というのは、
「正月三ガ日ぐらいは、せめて主婦を台所仕事から解放しよう」
という思想(?)から考え出されたものだろう? 当節みたいに、朝・昼・晩、できあいの料理を食べている時代にあっては、なんの意味もない。心弱い亭主といたしましては、
「正月三ガ日ぐらいは、せめて女房の手料理を食べたいものだ」
と言いたいところだが、そんなこと、口に出そうものなら、たちまちにして女房の機嫌を損じてしまう。それこそ「一年の計は元旦にあり」で、正月早々女房の機嫌を損じた日には、残る三百六十四日が思いやられるから、そこはジッと�ガマンの子�だ。
それでも、一杯やりながらNHKテレビの『紅白歌合戦』を眺め、年越しソバを食べて、フロに入るのが、わが家の大晦日から元日へ移る時の流れである。壁にかかった時計を仰いで、子供たちが「そうら、もうじき来年になるぞ」「あ、来年になった」「バカ、ことしだ」とやりあうのも、毎度のことだ。
そんなわけで、
「正月の思い出」
というと、いまは亡き父親のところへ年賀に出かけて、花札をいじったことぐらいか。年老いた父親の楽しみは、三男のわたしを相手にコイコイをやることだったので、こちらも親孝行のつもりでつきあわざるをえない。
気の毒だが、腕はちょっぴりわたしのほうが上で、わたしは、いいトシをして正月早々こづかい銭を巻きあげてくる。そのうち、父親の幼い孫たちが、
「おじさんのほうに賭けると、お年玉が倍になるぞ」
と言い出し、おじいちゃんからもらったお年玉でわたしにのってきたのには、マイッた。
勝つからいいが、負けた日には目も当てられぬ。彼らは「返せ」といって泣き出すにきまっているのである。
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