「真ン真ン中」
という。真ン中の、また真ン中のことである。
東京のことを書くなら、たとえば「銀座の真ン真ン中」というふうに言ってもらいたい。まちがっても「ド真ン中」なんて言うな。あれは、大阪の言葉だ。
自慢じゃないが、わたくし、東京は銀座の真ン真ン中で、いきなり水をぶっかけられそうになったことがあるのである。あれは、たしか十五年も前の、新聞記者時代のことだ。
その夏の日の夕方、わたしは、めずらしく若い女性を連れていた。飛び上がって、あやうく難を逃がれたからよかったようなものの、まともにかぶっていたら、せっかくのデート(?)も台無しだったにちがいない。
「なにをするんだ!」
大声をあげると、そこに、わたしたちが「清《きよ》ちゃん」と呼んでいた岡野清次さんの、元首相・大平正芳氏に似た人懐っこい笑顔があるではないか。わたしたちは、暮れなずむすずらん通りを足早に歩いていて、岡野さんの店がある路地の前を素通りしようとしたのだ。
岡野さんの店——
それは、銀座六丁目とはいっても、小松ストアの裏手の路地の奥、いわゆる銀座のネオン街とは離れたところにある店で、お世辞にも綺麗とはいえない店なのである。横丁の、それこそビルの壁に貼りついたようなスタンドバーで、椅子も六つか七つしかない。
その「龍」で、清ちゃんは、奥さんのイネ子さんと一緒に——というより、三十年前、奥さんのイネ子さんが店を開いたところ、開店直後にバーテンに持ち逃げされたため、勤めていた証券会社をやめ、とりあえずカウンターに入って、入りっ放しになってしまった人なのである。路地の奥の店からすずらん通りまでは十メートルもあろうというのに、打ち水をしようとして、ひょいとすずらん通りへ目をやったらしい。
すると、店の常連の、それも払いの悪い男が、なにやら嬉しそうに美人と腕を組んで通り過ぎようとしている。みれば、なんとなくペア・ルックだし、
「素通りはないだろう」
そう思うと、矢も楯もたまらなくなって、ザブッ——という次第だったらしい。
「冗談じゃねえや」
あとで「龍」のカウンターに坐ったわたしは、傍らの女性のほうに振り返って、
「ねえ、このひと、明大のラグビー部に八年も在籍していたんだぜ」
と説明した。ホント、清ちゃんが本気でわたしに水を浴びせるつもりだったら、わたしなんぞにかわせるはずもなかったろう。
それは、ともかく——
その日、わたしは、部下の姉である彼女に、
「ある男性に会っていただきたいの」
と頼まれて、某ホテルのロビーまで出かけたのだ。
「会って、どうするの?」
「まあ、いいから……」
会ったとたんに、彼女はわたしの手を恋人のように握りしめ、
「ね、あたしには約束した人がいるんです。だから、ね、わかって……」
彼に、そう言うと、
「じゃ、さようなら。もう、あたしのことは忘れてネ」
ハッキリ告げた。
つまり、そのころ、彼女には�別れたい男性�がいて、このわたしを�かりそめの婚約者�かなんかに仕立て上げ、そいつに引導《いんどう》を渡そうとしていたのだ。そういえば、彼女、会社に電話をかけてきたとき、わたしの服装をしつこく聴き出していたが、あれは、いかにもペア・ルックにみせかけようとしてのことだったのか……。
「なにさ、あんた、なんにも知らないで、このひととつきあったの?」
カウンターの中から、ママのイネ子さんが、ただでさえ大きな目をさらに大きくして声をかけてきた。わたしがためらっているうちに、
「ええ、ちゃんと事情を説明したら、断られちゃうでしょう」
彼女が答えた。
「こりゃあ、とんだシラノ・ド・ベルジュラックだったわねぇ」
「しかし、シラノはロクサーヌにクリスチャンを結びつけようとして三枚目を演じたんだろ? その点、オレは、このひとと彼を別れさせようとしたんだから……」
すると、清ちゃんが笑って、
「そうだよなあ。青木さんが女のコにモテるわけなんか、ないんだから。それに水をかけようとするなんて、オレも慌て者だよなあ」
じつをいうと、ママのイネ子さんは、わたしが勤めていた新聞の常連投稿者だった。そのころ、わたしは学芸部に所属していて、イネ子さんに連載モノを書いてもらうよう折衝してる最中だった。
あれから、十五年——
イネ子さんは、病いを得て死んだ清ちゃんの思い出をつづって、二冊目の本を書いた。イネ子さんは、その『銀座の女房』(文化出版局)の末尾に、清ちゃんのことを、
ほんのすこしの明るさを
すこしの人に残したら
さっさと逝ってしまった人でした
すこしの人に残したら
さっさと逝ってしまった人でした
と書いている。