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男のためいき女の寝息70

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:女の酒二題その一 おまえにゃ惚れぬ美空ひばりが歌う『おまえに惚れた』の文句が気になっている。わたしが好きなひばりさんの歌
(单词翻译:双击或拖选)
女の酒二題

その一 おまえにゃ惚れぬ
美空ひばりが歌う『おまえに惚れた』の文句が気になっている。わたしが好きなひばりさんの歌じゃないんなら構わないけれど、わたしが好きなひばりさんの歌だけに困るのである。
失礼ながら、たかたかし作詞・徳久広司作曲の、この歌の二番は、
※[#歌記号、unicode303d] あなた躰に 悪いわと
水でお酒を 割ってだす
というのだが、そんな女にいったい誰が惚れるだろうか? わたしだったら、ぜったいに惚れない。
「お酒」
というからには、日本酒だろう。まさか、たかたかしさんは、この歌の中の「お酒」のことを、
「あれは、ウィスキーです」
ナンテ、言うんじゃあるまいな?
いや、ウィスキーだって、ホントは、水で割ってなんか、飲みたくない。飲み屋などで、
「あなた、水割り?」
とかナンとか言っちゃって、勝手にウィスキーを水で割って出すのは、あれは、水で割らなきゃ飲めないようなウィスキーだから、仕方がなくて水で割っているのだろう。
言っちゃナンだが、酒飲みといたしましては、酒場で、せめて水で割らなくても飲めるようなウィスキーを飲むことができる身分になりたい。ホント、酒を水で割って飲むなんて、貧乏ったらしくていけねえや。
まして、日本酒である。ひばりさんともあろう女《ひと》が、いくら相手の健康状態を気づかってのこととはいえ、
※[#歌記号、unicode303d] 水でお酒を 割ってだす
ナンテ、そんなケチなマネをするなんて、信じたくもない。
しかも、序《つい》でのことを言えば、この歌、二番の結びは、
※[#歌記号、unicode303d] 言葉づかいも 女房を
きどる今夜の おまえに惚れた
というのである。ふたたび言っちゃナンだが、男なんてものは、一緒になる前から女房を気どっているような女には、まちがったって惚れっこない。
そこのところを、ひばりさんは、いや、作詞者のたかたかしさんはどんなふうに考えていらっしゃるのだろうか? たかたかしさんには『人恋酒』とか『ふたり酒』とか、いい[#「いい」に傍点]酒を歌ったいい歌が多いのに、まっこと残念だ。
それにしても、芸能評論家の加東康一さんが『加東康一のあけっぴろ芸能界』(リイド社)という本に、ひばりさんと大鵬とのことを書いていたのは、ひばりファンのわたしにはショックだった。加東さんは、ある芸能誌の企画で、ひばりさんと大関時代の大鵬が対談したことに触れたうえで、こう書いているのである。
 ——その夜の対談は、ご両所ともにことの外《ほか》ご機嫌で、ひばりもピッチをあげて、したたかに飲んだらしい。
「ねえ、仕事はもういいでしょ……大鵬さん、あたしの家へいらっしゃいよ……」
てな具合で、座談会の席から大鵬はひばりの車で……だったのだが、そのまんま、青年大関・大鵬は二所ノ関部屋に帰らなかったというのである。
 その結果、二所ノ関親方から、
「明日にも天下の綱をしめる大鵬を、なんてことをしてくれた」
というクレームが芸能誌にもちこまれた——と、加東さんは言う。ひばりファンのわたしに言わせれば、
「あのひばりさんに向かって�なんてことをしてくれた�とはナンだい」
と言いたいところだが、どうだろう?
 その二 好きで男を
江利チエミが歌っていた『酒場にて』の文句が気になっている。チエミさんに会ったことはないけれど、
「いちどは会ってみたい」
と思っていた女《ひと》だった。会って、別れた夫・高倉健サンとのことを聞いてみたかった……。
誰の作詞で、誰の作曲かは忘れたが、チエミさんの最後のヒット曲|『酒(*)場にて』は、
※[#歌記号、unicode303d] 好きでお酒を
飲んじゃいないわ
というのである。そうして、
※[#歌記号、unicode303d] 家にひとり帰るときが
こわい私よ
と、つづく。
そういうことなら、このわたしも、
家に帰るときが怖くて、飲む。それこそ、
「家に帰ってから、女房に何んていい訳をしようか」
と思うと、そりゃあ、怖くて怖くて……。ホント、できることなら、高峰秀子さんに相談したいくらいのものである。
朝日新聞の「マリオン」で、ご一緒に「人生相談」の回答者を担当したこともある高峰さんとわたしだが、ずいぶん前に高峰さんから戴いたお手紙に、
「ちかごろ、若い奴のトン死が多い。おまえさんも気をつけるように」
とあったのが、忘れられない。高峰さんから手紙を戴いた翌日の新聞に、チエミさんの訃が報ぜられたからだ。
そのチエミさんは、
「急逝する前日も、ウィスキーの牛乳割りを飲んでいた」
という。それも、いつものように、きっちり三杯飲んだそうだ。
酒飲みのわたしには、
「いつものように、きっちり三杯……」
というところが悲しい。言っちゃナンだが、酒なんてものは、いつものように、きっちり飲むもんじゃない。ときには三杯飲み、ときには二十杯飲んでこそ酒ではあるまいか?
チエミさんには直接カンケイのない話だが、チエミさんが住んでいた家を買った老婦人に会ったことがある。たいへん品のいいオバアちゃんで、
「毎朝、家のまわりをホウキで掃くのが日課です」
ということだった。
家のまわりを掃いていると、犬を散歩に連れた少年たちが、
「オハヨウ」
と声をかけてくる。そのたびに、このオバアちゃんは言うんだそうだ。
「ここでは、粗相をさせないでね」
そこで、オバアちゃんは、
「そうしますとネ、ちゃんと子供さんたちは犬をヨソへ引っ張っていきますのヨ。ちかごろの子供さんが年寄りの言うことを聞かないなんて、ウソですよ」
と、目を細めた。いや、それが、じつにいい[#「いい」に傍点]笑顔だった。
しかし、この話、
「ここでは[#「ここでは」に傍点]……」
というところが、ミソである。申しわけないけれど、わたくし、オバアちゃんに向かって、
「じゃあ、どこでさせればいいんですか?」
と言いかけ、慌てて口をつぐんだものだ。
それにしても、
「どんな男でもいい。傍に男性がいたら、チエミさんは酔って死ぬなんてことはなかった」
というのが、わたしの極めて個人的な意見だ。しょせん、男なんて、グズで、役立たずで、カイショなしだが、
「それでも、いないよりはマシだろう」
と、わたしは思っている。それが、たとえ夫であろうと、なかろうと……。
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