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男のためいき女の寝息74

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:年賀欠礼かぞえてみたら、四十一通もあった。ことし(一九八六年)の暮にもらった年賀欠礼のはがきである。年を追うごとに増えて
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年賀欠礼

かぞえてみたら、四十一通もあった。ことし(一九八六年)の暮にもらった年賀欠礼のはがきである。
年を追うごとに増えているような気がする。それだけ、こちらもトシをとった——ということだろうか。
さすがに、
「喪中につき……」
「服喪中につき……」
とだけ書いてあるはがきは少なくて、それぞれ「亡父の」とか「母が八月になくなりましたので」とか記してある。なかに「亡妻の」というのが一通、そして「亡夫の」というのが二通あり、あらためて胸を衝かれた。
なにも、
「父や母を失った悲しみに比べ、夫や妻を失った悲しみのほうが、いや勝《まさ》る」
というつもりはない。が、わたしにとっては、父や母であった人よりも、夫や妻であった人のほうが確実に近しいのである。去っていった人の顔、去られた人の顔が、迫るように浮かんでくる。
わたしも、生まれて初めて年賀欠礼のはがきを書いた。この一月に、父が八十八歳で病死している。
「米寿」
というので、
「トシに不足はないでしょう」
と慰めてくださった人もいたが、そんなの、ウソだ。病院で、父は死ぬ日まで、
「くやしい。オレには、やり残したことがある」
と、繰り返していた。
いまとなっては、それが何であるか、知る術《すべ》もない。昔の、五年制の尋常高等小学校を出ただけで�奉公�に出され、小僧から叩きあげて金物屋のオヤジになった父は、
「商人の子に学問は要らない」
と頑《かたく》なに言いつづけ、子どもたちが�上の学校�へ行くことも、家で本を読むことも嫌っていた。
「本なんか読むヒマがあったら、店の掃除でもしろ」
と言うのである。おかげで、三男のわたしは、親にかくれて本を読むことを覚えた。なにごとも、親にかくれてやるのは、楽しいものだ。
父以外にも、ことしは、母方の従兄夫婦が死んでいる。従兄夫婦といっても、二十ちかくトシが離れているうえに子どもがなく、わたしたち夫婦に、
「夫婦養子になってもらえないだろうか」
という話もあった仲だ。父の反対でその話は潰れたが、もし話がまとまっていたら、わたしは、ことし、自分の手で仏を三つも送り出さねばならなかったことになる。
従兄は、事故で死んだ妻を追うようにして、死んだ。俗にいう「髪結いの亭主」だった従兄は、妻の仕事を蔭で支えて、どこまでも仲のいい夫婦だった。
年賀欠礼のはがきには、父の名も父のトシも伏せ、
「喪中につき、年末年始の御挨拶御遠慮申し上げます」
という、それこそ型通りの簡単な文章に、
 古ごよみ父の葬儀の日取りなど
 という句を添えた。
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