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男のためいき女の寝息75

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:女房コンプレックス父の生涯のほとんどは、母との意地の張り合いだったような気がする。父の一周忌が済んだあたりから、母もその
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女房コンプレックス

父の生涯のほとんどは、母との意地の張り合いだったような気がする。父の一周忌が済んだあたりから、母もそのことに思いを致すのか、仏壇に手を合わせては、
「もう少し優しくしておけばよかった」
と呟いている。
明治三十年生まれの父と明治三十四年生まれの母が結婚したのは大正十一年(一九二二年)だから、昨年(一九八六年)父が八十八歳で死ぬまで、ふたりは六十四年間も一緒に暮らしたことになる。ダイヤモンド婚を迎えたとき、
「おじいちゃんとおばあちゃんは、おとうさんとおかあさんが結婚する前から結婚していたんだぞ」
と説明したら、わが家の娘たちがいっせいに「フルーい」と叫んだのを、つい昨日のことのように覚えている。
五年制の尋常高等小学校を卒業すると、父は金物屋に奉公に出された。その父が、ノレンを分けてもらった後、中途退学とはいえ、なぜ府立の高等女学校にまで進んだ母と見合いし、結婚したのか——は、父も母も黙っているので、子供たちにはわからない。
それにしても、
「商人の子に学問は要らない」
という父の口癖は、半分は女学校にまで進んだ母へのアテツケだったのではないだろうか。父のいう�学問�とは、たとえば宿題をやることで、父は子供たちが学校から帰ってきて教科書を開いたりすると、
「そんな暇があったら、店の掃除をやれ」
と、テキメンに機嫌が悪くなったものだ。
母が、
「これは、宿題なんだから……」
と、いくら宥《なだ》めても、
「うるさい。おまえは引っ込んでいろ!」
と、ぜったいに節を枉《ま》げなかった。
おかげで、兄たちは宿題を怠《なま》けることを身につけたらしいが、要領のわるいわたしは、納戸の蔭でノートを広げたりしては怒鳴られた。
そういえば、父が帳簿と新聞以外に、ものを読んでいた姿を、八人の子供たちは見たことがない。父の自慢は、八十近くまで老眼鏡をかけなかったことで、
「本なんか読むから、目が悪くなるんだ」
と、眼鏡をかけた母に威張っていた。
それもこれも、
「女房に対する学歴コンプレックスが言わせた」
とは、わたしも思わない。照れくさがり屋の父は、女性そのものに対してコンプレックスを抱いていたにちがいない。
「そんなことをして、なんの腹の足しになるんだ?」
と、父が軽蔑していた�もの書き�になって、父に背《そむ》いたような三男のわたしだが、父が母にコンプレックスを抱いたように、女房にはコンプレックスを抱きつづけている。
マジメな話、つまらないところだけが似たものだ。
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