悪友たちから、
「オマエは男のくせに、どうして女の肩ばかりもつんだ?」
と、からかわれる。わたしの書いた文章が、たとえば、「仕事の上では、男も女もない」といった内容であることが、彼らには気に入らないらしいのだ。
彼らは、ともすると、
「女は、これこれだから……」
「女は、あれこれだから……」
と、職場における女のひとの欠点をあげつらう。が、それらは、
「男だって、これこれじゃないか」
「男だって、あれこれじゃないか」
というふうに、わたしに言わせると、正直な話、似たようなものばかりだ。
「えてして女は公私混同しがちだ」
というなら、男にだって職場に家庭のことを持ち込む奴もいれば、仕事を家に持ち帰る奴もいる。そんな他愛もないことに、いちいち「女だから……」「男だから……」ということ自体がおかしい。
「女だから……」
というだけの理由で女性が差別される社会は、同時に、
「若いから……」
「醜いから……」
「貧しいから……」
「学歴がないから……」
というだけの理由で、有能な男性が差別される社会でもある。こんな単純なことに、どうして男たちが気づかないのか、わたしには不思議でしようがない。
わたしは、これからも意識して女のひとの肩をもつような文章を書きつづけるだろう。それは、つまり、男たちの肩をもつことにもなる——と、固く信じているからだ。
しかし、どんなものだろう? これから先、二十一世紀になって、かりに女性が天下を取った場合、過去に�男性中心の社会�があったように、彼女たちは�女性中心の社会�をつくりあげてしまうのではないか。
そんなとき、悪友たちが言うように、男でありながら女の肩ばかりもってきたわたしは、男性からはもちろん、女性からも吹きとばされそうな気がしてならぬ。早い話が、女性が天下を取った場合、タフな女性たちにとっていちばんジャマになるのは、このわたしみたいにいちはやく女性にスリ寄ろうとしていたヤワな男性だもんね。ホント、近い将来、じっさいに�女性の時代�が実現したら、わたしなんぞは、真ッ先に女性たちから抹殺されてしまうかもわからない。
でも、わたしは、
「それでいい」
と思っている。愛する女性たちの手で抹殺されるなんて、くやしいけれど、本望だ。
それは、まあ、さておき——
図らずも、この本には、わたしがわたし自身について書いたものが多く集まった。三十歳を過ぎて二十五年もたつと、人間、いつのまにか自分を語るようになっているのだろうか?
それにしても、ここに描かれているわたしは、つとめて女の肩をもちつづけようとしているわたしである。わたしの文章から、そんな意識的な心づかいが感じられなくなったとき、わたしは、もうちょっとマシな人間になっているにちがいない。
図らずも、この本には、わたしがわたし自身について書いたものが多く集まった。三十歳を過ぎて二十五年もたつと、人間、いつのまにか自分を語るようになっているのだろうか?
それにしても、ここに描かれているわたしは、つとめて女の肩をもちつづけようとしているわたしである。わたしの文章から、そんな意識的な心づかいが感じられなくなったとき、わたしは、もうちょっとマシな人間になっているにちがいない。