早いもので、父が亡くなってから三ヵ月が過ぎようとしています。まだ、亡くなった、ということがピンとこなく、夜になるともうすぐ酔った父が、赤い顔して帰ってくるのでは、と思うことがたびたびあります。
二十歳をすぎた私としては二十年あまり父と暮らしてきたことになりますが、ほんとうにいっしょにいるなあと、実感できたのは、皮肉にも、年が明けてから再入院するまで、自宅療養中の一ヵ月ちょっとのことでした。
今年の年賀状を、まだ出していなかった父は、病気のことを心配して下さった方々に、近況報告を兼ねた寒中見舞を出すことにしたのです。ちょうど試験休みだった私が、その葉書の印刷、宛名書きの手伝いをすることになったのです。うかつにも、父の書いたものを読んだことがなかった私は、このとき初めて、この葉書に書かれた父の俳句を読みました。
あたたかき十二月なり胃を切りぬ
胃を切って想ふことなき寝正月
胃を切って想ふことなき寝正月
これが、その俳句です。
普段は忙しく、家にいるときでも、仕事のこと、原稿のことばかり考えていた父と、何か一つのことをいっしょにするということもなく、また、向かい合って話をしたこともなかった私が、そのとき宛名書きをしながら、二人でいろいろなことを話したのです。これが最初で最後になってしまいましたが、父とあんなに話をしたことはありませんでした。
まだ学生の私は、父についても、父の仕事についても、なかなか理解できず、ついつい反抗してしまいました。しかし、最後に話をしてみて、また、父が亡くなってから父のお友達や仕事関係の方々から、いろいろと思い出話をしていただき、ほんのちょっぴりですけれど、父が分かったような気がします。
たくさんのお友達がいたこと、そして、その方々をとても大切にしていたこと、また、仕事に対しては自分にとても厳しかったことなどです。
私も、来年から社会人になります。父から、これからいろいろなことを教わろう、聞いてみようと思っていたことがかなわぬ夢となってしまい、残念でたまりません。でも父が残してくれた多くの本から学びとっていき、しっかり生きていこうと思います。
普段は忙しく、家にいるときでも、仕事のこと、原稿のことばかり考えていた父と、何か一つのことをいっしょにするということもなく、また、向かい合って話をしたこともなかった私が、そのとき宛名書きをしながら、二人でいろいろなことを話したのです。これが最初で最後になってしまいましたが、父とあんなに話をしたことはありませんでした。
まだ学生の私は、父についても、父の仕事についても、なかなか理解できず、ついつい反抗してしまいました。しかし、最後に話をしてみて、また、父が亡くなってから父のお友達や仕事関係の方々から、いろいろと思い出話をしていただき、ほんのちょっぴりですけれど、父が分かったような気がします。
たくさんのお友達がいたこと、そして、その方々をとても大切にしていたこと、また、仕事に対しては自分にとても厳しかったことなどです。
私も、来年から社会人になります。父から、これからいろいろなことを教わろう、聞いてみようと思っていたことがかなわぬ夢となってしまい、残念でたまりません。でも父が残してくれた多くの本から学びとっていき、しっかり生きていこうと思います。