焚火にあたるには、ルールがあった。棒っ切れでも何でもいいから、とにかく燃えるものを持っていくのだ。
そうしないと、仲間に入れてもらえなかった。そのころの男の子にとって、
「仲間に入れてもらえない」
ということは、耐えがたい屈辱を意味した。
そのために、|じぶんち《ヽヽヽヽ》の羽目板を剥《は》がして、こっぴどく叱られた奴もいる。それでも、仲間に加わることは、嬉しいことだった。
父親に殴られて流した涙に、ちいさな煤《すす》が止まる。そいつを握りコブシでこするから、顔中が真ッ黒になる。
それが、
「おかしい」
というので、みんなが笑う。笑われたほうも、なぜ自分が笑われたのかわからぬまま、いっしょになって笑っていた……。
それにしても、作詞・巽聖歌《たつみせいか》、作曲・渡辺茂の、
※[#歌記号]かきねの かきねの まがりかど
という童謡「たきび」が初めて放送されたのは、昭和十六年(一九四一年)十二月九日だそうな。
——ということは、この歌は、臨時ニュースが相次いで�大本営発表�を告げるなかで歌われていたのだろうか? いまはもう、まったく記憶にないが、軍部から「落葉も貴重な資源、フロぐらいは焚ける。それに、焚火は敵機の攻撃目標になる」と、お灸《きゆう》を据えられたこともあったらしい。
朝の焚火は、煙の色が朝日に透けて、水色に上がる。夕方の焚火は、火の色が人恋しさをつのらせる。そうして、夜の焚火は、闇の中の炎の色が、ひどく神秘的だ。
いま、ひとりで庭の落葉を焚いていると、
「孤独だなあ」
という思いが煙とともに目にしみる。焚火は、本来は、人を集めるためのものではなかろうか?
ところで、
「笑うという字は、いかにも笑っているように見える」
と言ったのは、あの伊丹《いたみ》十三さんだ。が、そういうことなら、焚火の火も「火」という字に見えないか?