「性《セツクス》は?」
と訊けば、
「週にウン回」
と答える。こっちは、ただ「男か女か」を尋ねただけなのに——である。
されば、
「お道具拝見」
と声をかけたら、いかなることに相成るか? まさか、いきなり|あそこ《ヽヽヽ》を出してみせたりはしないだろうな?
茶会で、
「お道具拝見」
と言うのは、これはまあ、ルールみたいなものだ。いうならば、ナンの前に、女房が三つ指ついて一礼して「お情け頂戴」と言うようなもんだろう。
なにごとも、ルールというやつは、大切だ。ルールあればこそ、男の遊びも興趣を増す。
茶会の、
「お道具拝見」
という遊びのなかでも、とくに茶杓《ちやしやく》拝見には、ふかーい意味がある。茶杓を拝見して、ズバリ作者を言い当てることができたら、
「先人敬慕」
ということで、これはもう、茶道の精神の「和、敬、清、寂」のうち、敬《ヽ》を究《きわ》めたことになりはしないか。
それにしても、この茶杓のことを、
「一片の竹ベラ——世界中で、こんな粗末な手工がどこの国にあるだろうか」
と喝破したひとがいる。茶の湯の『お道具百科』(淡交社)を著した高原杓庵さんだ。高原さんは「茶人仲間では神器のように崇《あが》められ、途方もない金高で価格づけられ、しかも茶人の鋭いカンはこの竹片の製作者をいい当てる。常人に考え及ばぬ茶人の世界である」とも書いている。
もともと、茶杓は、茶をたてる主人が削るのが原則だった。主人が削れば、それを拝見した客もズバリと作者を言い当てることができ、先人敬慕すなわち主人敬慕となって、敬《ヽ》もまた、和《ヽ》に通じるものを!
そのために、ときに男は茶杓を削るのに骨身を削ることがある。たとえ、その道具は「一片の竹ベラ」と嘲《あざ》けられようと……。