「乱伐」
という文字をみるたびに思い出す小噺《こばなし》がある。すこうしシモがかっているが、カンベンしてもらいたい。
——ある男、娼婦と寝たら、なんとアソコがツルツルで、一本しか生えていない。さて、そうなるとヘンに目ざわりなもんだから、ひょいと摘《つま》んで抜いちゃった。
すると、女の泣くまいことか。あんまり泣くので、
「どうして、そんなにワアワア泣くんだ?」
と訊いたところ、彼女がしゃくりあげて言うには、
「だって、あたし、|かわらけ《ヽヽヽヽ》になっちゃったじゃないの、よォ」
そんなわけで、
「木を植える」
という仕事は、非常に重要なことなのである。なまなかの愛情でできる作業ではない。
その証拠に、
「素人園芸家になるには、ある程度、人間が成熟していないと、ダメだ。言いかえると、ある程度、おやじらしい年配にならないと、ダメだ」
と言ったひともいる。チェコの国民的作家カレル・チャペックである。
チャペックの『園芸家12カ月』(小松太郎訳、中公文庫)によると、
「人間、若いうちは、花はボタンホールにさすもの、でなければ女の子に贈るものだと思っている」
ということだ。まして、そんな按配《あんばい》だから、
「植物が冬眠するものだということ、鍬《くわ》で耕され、肥料をもらい、移植され、挿木《さしき》に使われ、剪定《せんてい》され、支柱にくくられ、種ができないように咲いた花を切られ、枯れた葉をとってもらい、アブラムシやウドンコ病から保護されているものだということを、正確に知っている者はいない」
されば、
「木を植える」
ということは、大変な作業だ。肥料ひとつにしても、アブラカスなどを撒《ま》くような場合は、
「雪の降る直前が、いい」
ということになっているそうだから、それこそ、空を見上げながら、雪が降り出すのを「いまか、いまか」と待っていなければならぬ。
こんなこと、尻にコケの生えてるような奴らに、できますか?