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男の日曜日11

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:紅皿と欠皿江戸といえば、太田|道灌《どうかん》だ。足利将軍義政の長禄元年(一四五七年)に江戸城を築いた。道灌といえば、七
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紅皿と欠皿

江戸
といえば、太田|道灌《どうかん》だ。足利将軍義政の長禄元年(一四五七年)に江戸城を築いた。
道灌
といえば、
七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき
という古歌だろう。鷹狩《たかが》りに出て、俄雨《にわかあめ》に降られ、一軒の農家に飛び込み、雨具を所望したところ、そこの娘に山吹の一枝を差し出されて、これが、
「蓑《みの》ひとつだになきぞ悲しき」
という謎《なぞ》とは知らなんだ——といった話である。
「されば」
というわけで、若い道灌は、この実のならぬ花を手折って、愛人とした。娘にしてみれば、思いがけない恋だったにちがいない。
ところで、娘の名を�紅皿《べにざら》�といった。れっきとした京都の武士の娘である。彼女の父は、戦国の世を逃げのびて、幼い一人娘とともに武州豊島郷高田村に住みついた。いまの面影橋あたりだ。
後妻をめとって、また娘が生まれた。二人の娘はすくすくと成長したが、さすがに姉は都育ち、妹は野育ち。たたずまいにも、おのずから相違がにじみ出て、父の死後、村の人たちは、姉の紅皿に比べて、妹を�欠皿《かけざら》�と渾名《あだな》した。
それを、母なるひとが心よく思うはずがない。ことごとに紅皿に辛くあたっていたところへ、
「プリンス道灌の登場」
となると、これはもう、日本のシンデレラ物語だろう。この話、単なる伝説ともいわれているが、『大日本野史』という本にはちゃんと載っているそうな。
——新聞記者時代、その紅皿の碑を新宿は東大久保の西向天神別当大聖院の境内に訪ねたことがあるけれど、いまも残っているだろうか? あのとき、あの寺の住職が、
「碑のどこにも、紅皿の名は書いてないんですよ」
と語ってくれたことを、わたしは奇妙に覚えている。
それにしても、この東京の空の下のことを、
「まだ、江戸が残ってい、東京がある」
と言ったのは、小説家の池波正太郎さんだ。東京は、池波さんの故郷《ふるさと》でもある。
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