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男の日曜日15

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:素踊りも風流のうち「風流」と書いて、「ふりゅう」と読むんだそうな。早い話が、正月の松囃《まつばや》しや盆踊りがそうだ。日
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素踊りも風流のうち

「風流」
と書いて、
「ふりゅう」
と読むんだそうな。早い話が、正月の松囃《まつばや》しや盆踊りがそうだ。
日本舞踊のルーツを辿《たど》ると、どうしても|そこ《ヽヽ》まで行ってしまう。だいたいが、天鈿女命《あめのうずめのみこと》にはじまって、出雲《いずも》の阿国《おくに》で根づくのだ。これを要するに、
※[#歌記号]踊るあほうに見るあほう
同じあほなら踊らにゃそんそん
といったところではないだろうか?
されば、
「男もすなる浮気」
というものを、女たちが盛大にやっているゴ時世に「女もすなる日本舞踊」というのを、男がやって、どこがいけないか……。
それにしても、
「日本舞踊に舞踊家なんていませんよ。舞踊家というのは、それで興行を打てる人のこと。この国では、みんな教えることで収入を得て、合の手に舞台でしょ?」
と言ったのは、若き日の吾妻徳穂《あずまとくほ》だ。まさに、女ならでは——のタンカである。
しかし、こっちは男だから、そんなシチメンドくさいことは考えない。ただただ、お師匠さんに教わったとおり、差す手、引く手に気を遣う。
すると、無心というか、恍惚《エクスタシー》というか、そんな境地になってくるらしいから妙だ。それこそ、素踊りも、
「風流のうちだ」
と思える一瞬だろう。
ところが、こうして舞い、踊っているのを拝見しているほうは、なんの脈絡もなしに、
一足踏んでは夫《つま》思ひ
二足、国を思へども
三足、ふたたび夫思ふ
女ごころに咎《とが》ありや
という、明治の女流詩人・大塚|楠緒子《なおこ》の詩を思い浮かべているのだから、始末にわるい。
ホント、無我というには、程遠い。
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