論語に、
「四十而不惑」
とあるのをもじって、
「四十而初惑」
と言ったひとがいる。いまは亡き吉川英治さんだ。
こっちは、四十歳を過ぎて間もなく十年になるというのに、まだ惑いっぱなしだから、吉川さんの気持ちがよくわかる。
そう言ったら、
「こっちは、三十歳を過ぎて間もなく二十年になるというのに、まだ立ちっぱなしだ」
と言った奴がいる。石部金吉のわたしには、なんのことやら、さっぱりわからない。
ところで、吉川さんの『宮本武蔵』を読んで、
「どうにも解《げ》せない」
と言った奴もいる。彼に言わせると、武蔵がお通になにもしないのは「おかしい」と言うのである。
「あれは、ぜったいヤッテルよ、ね? 千年杉に吊《つ》り下げられたところを、お通に助けられて逃げるだろ? あの途中で、きっとヤッタにちがいない」
それにしても、吉川さん描く剣聖・宮本武蔵が、
「われ事において後悔せず」
という言葉を残したのは、いったい幾つのときだったか、ご存じか? 武蔵が、この言葉を自戒として記したのは、慶長九年(一六〇四年)の大《おお》晦日《みそか》だ。明けて、武蔵「数えで二十歳《はたち》になろう」というときである。
いまにして思えば、こんな、だいそれたこと「二十歳だったから言えたのではないか」という気がしないでもない。四十歳にして初めて惑う武蔵に、こんなこと、言えるわけがない。
されば、
「やはり、武蔵はヤッテいなかった」
と思う。四十歳ならともかく、二十歳で惑うはずもなかろう?
ただし、あのとき、お通さんはパンティを穿《は》いていなかった。そして、終生、武蔵は子をつくらなかった。
——美人|薄命《はくめい》。
——武蔵|小金井《こがねい》。