あれは、亡くなった小説家の梶山季之《かじやまとしゆき》さんだったと思う。東京は銀座の地価が、公示価格ではなく実際の売買価格で、坪一千万円になった昭和四十八年(一九七三年)ごろ、新聞記者に、
「銀座四丁目の角を百坪ほどプレゼントされたら、どうなさいますか?」
と訊かれて、
「もちろん、田圃《たんぼ》にする」
と答えていらっしゃったのは……。
もちろん、田圃にして、そこで古式|床《ゆか》しい農業を営むのである。トーゼンのことながら、いっさい化学肥料は使わずに、立居振舞のほうも、
「肥桶《こいおけ》に柄杓」
というスタイルでやるわけだ。
いずれは石油が不足して、コヤシにしたくとも化学肥料なんぞは作れなくなり、日本の肥料はすべて国内で生産しなければならぬ時代が来るにちがいない。そのときになって、いくら慌ててもはじまるまい。いまのうちから、あの昔懐かしいスタイルを、銀座あたりで復活させておいたら、いかがなものか?
ところで、
一、厠《かわや》は広くつくること
一、汲取口《くみとりぐち》は広くすること
一、厠に水を入れぬこと
というのが、江戸時代に、幕府が諸国に出した触書《ふれがき》だそうな。いまに、鈴木善幸さんも粋《いき》がって、そんな触書を出すようになるかも知れないが、さあ、そうなったらマンションなんて困るだろうな。ホント、都心の高層ビルなんて、どうするんだろう?
それにしても、中学生のころ、誰かが宿題でも忘れてこようものなら、
「連帯責任」
ということで、クラスの生徒を一人ずつ立たせ、
「私は、人糞製造機です」
と、何度も何度も言わせる先生がいた。それこそ、銀座に古式床しい農業が復活すれば、われわれもまた、
「クソの役に立つ」
ということを、先生は身を以《もつ》て教えてくださったのかもわからない。
エリートなんてクソクラエ! 人間、どこかに柄杓、いや取柄ぐらいはあるもんだ。