「トロッコ」
と称した。駆け出し記者のことである。
まだ一人前にもなっていないから「キシャ」ならぬ「トロッコ」というわけだ。そのトロッコのころである。
「秩父宮《ちちぶのみや》妃殿下が、市川市の国府台にある式場隆三郎邸のバラ園を訪問される」
というので、取材を命ぜられたことがある。当時、式場さんは、わたしが勤めていた新聞社の会長をやっていて、これは、いわゆるゼヒものだった。
「ゼヒもの」
ま、いまで言えばパブリシティだろう。是非を問わず載せるために、そう呼ばれた。
いかなる事件があっても、ボツにはならぬ。トロッコとしては、トーゼンのことながら、張り切った。
そこで、
「わけても�初恋�と名づけられた白いバラに目をとめられ……」
とかナンとか調子のいいことを書いたような気がする。とたんに、デスクから、
「バカモン!」
と、怒鳴られた。
「貴様は、妃殿下に初恋のひとがいらっしゃったのを知っていて、こんなことを書いたのかッ」
自慢じゃないが、こっちは、戦後民主主義の申し子である。秩父宮妃が平民の出身であることも知らなければ、夭逝《ようせい》した殿下に見染められての結婚であることも、節子の名が皇太后の名と同じ文字であるところから勢津子と改めたことも知りゃしない。
正直に、
「知りません」
と答えたところ、
「新聞記者だったら、それくらいのことは知っておけ」
と、また叱られたが、そのときのデスクの怖かったこと! わたしは、いまでも、あのときのデスクの、怒った顔を覚えている。
それにしても、
「新聞記者というのは、なんでも知っていなければいけないんだなあ」
というのが、トロッコだった若いわたしの感想だった。薔薇《ばら》ノ木ニ薔薇ノ花サク、何事ノ不思議ナケレド——だ。