こんなエピソードは、どうだろう? わたしが東京は麹《こうじ》町の小さな出版社に勤めていたときのことだ。
じつにマジメなビルのガラス拭きがいた。まだ二十代も半ばだろうに、それこそ舐《な》めるように磨きあげるのである。それも、毎週毎週だ。
あまりの熱心さに、
「そんなに精を出して、どうするのかね?」
と訊《き》いたことがある。そうしたら、ガラス拭きのやつ、こう答えやがった。
「うん。カネを貯めて、いまにこのビルを買うんだ」
——民間の電話相談員の第一号として知られる医事評論家の西来《にしらい》武治さんが、神奈川県下の自宅で奥さんのみわさんと一緒にダイヤルフレンドを始めたのは、昭和四十六年(一九七一年)四月だ。早いもので、もう十年以上になるが、この十年間にかかってきた電話は五万八千件にのぼるそうな。
相談者は四、五十代の主婦が圧倒的で、やはり医療相談がいちばん多い。人生相談は夫婦間や老人の世話をめぐるトラブルが主だ。そして、セックスにかんしては、女性から欲求不満を訴えるものが目立つのも、時代だろう。
なかには、夜《よる》の夜中に、
「若い女を紹介しろ」
と酔っぱらって電話してくる不埒《ふらち》な男もいるらしい。ダイヤルフレンドを、なにかとカンちがいしているのだ。
その西来さんの趣味が、なんとヤカンを磨くことなのである。突拍子もないイタズラ電話に、ともすればカッとなりそうな心を抑えて、西来さんはミガキ砂でゴシゴシやる。
おかげで、西来さんちのヤカン、ナベの類《たぐ》いは、いつもピカピカだそうだ。西来さんは、
「まあ、一種の健康法だね」
とテレながらも、
「あるいは、ちいさなときから、仏具を磨かされていた後遺症かも知れない」
と笑う。西来さんは、もと僧侶である。
「磨く」
ということは、
「身を欠くことではないか」
と思った。身を削るようにして人間を磨くのである。