友人「まあ、なんてかわいらしい赤ちゃんですこと」
母親「いいえ、たいしたことございませんわ。実物よりも写真のほうを見てくださいな」
というエピソードが好きだ。D・J・ブーアスティンの名著『幻影《イメジ》の時代』(星野郁美・後藤和彦訳、創元社)に出てくる。
このあいだも、あるスポーツ紙に、プロ野球・巨人軍の原辰徳選手が広島球場のロッカーの大鏡の前で、
「これ、いい鏡だなあ。よくうつる。ぼくってスタイルがいいんだよね」
と呟《つぶや》いていた——という話が紹介されていたけれど、この記事なんぞも、
「実物よりも鏡のほうを見てくださいな」
といった例だろう。かりに、鏡にうつったスタイルがまずかったら、鏡のせいにできるから、ありがたい。
ホント、鏡や写真でさえ、こうだもの。これがビデオだったら、
「実物よりもビデオのほうを見てくださいな」
と言いたくなるのも、無理はあるまい。ビデオの場合は、絵だけでなく、音だって|うつる《ヽヽヽ》のだ。
それにしても、ホームビデオをいじくる面白さは、
「カメラで撮った画面の広さと肉眼で見たときの広さとのちがいがわかる」
ということではなかろうか? よく知らないけれど、
「人間の目は両方の目を開いているときは水平角度で一六〇度ぐらい見えるが、レンズはいろいろあっても広い角度で五〇度程度なので、だいぶ感じがちがう」
ということらしい。
——ということは、
「人間の目は広い角度で見るために欠点がわからないが、カメラを通してみると、レンズの角度だけしか前方が見えないので、欠点がよくみえる」
ということだろう。それでも、ビデオにうつったもののほうが実物よりいいんだから、仕方がない。
そんなわけで、落語の『がまの油売り』が、
「がまは、おのれの姿が鏡にうつるのをみておのれと驚き、たらーり、たらりと油汗をながす」
と言ったのは、いまは昔だ。いまは、わたしみたいな蟇蝉噪四六《ひきせんそうしろく》のがまも、タレントたりうる時代である。