何年か前に、
「断絶始末記」
と題し、建設会社の広告に添えて、こんな文章を書いたことがある。
家を改築したのを機会に、
「書斎を少し広くとって、そこへピアノとステレオを入れよう」
ということになった。サラリーマンだったころのことである。
「そうすれば、昼間はあたしたちが学校から帰ってきて使えるし、夜はお父さんが会社から帰ってきて使えるじゃん?」
というのが、長女の提案理由だった。当時、わたしは出版社に勤めていて、いつも帰りが遅かった。
サイドビジネスではなくて、
「これが、インサイドビジネスだ」
と称していた原稿を書くのは、だから、深夜というよりは、むしろ早朝だった。帰宅すると、なにはともあれ一眠りし、それから明け方に起き出して、机に向かうのである。
そんなわけで、そのころ小学校六年生だった長女の提案は、スンナリ受け入れられた。一つの部屋を父親と娘たちが交替で使う。わが家に親子の断絶なんてなかった。
ところが、まもなくわたしが会社をクビになったから、困った。娘たちが学校から帰ってきて、
「ピアノでも練習しよう」
と、勢いよく書斎のドアを開け放つと、そこで、父親がウンウン唸《うな》りながら原稿を書いているのである。
当然のことながら、
「ジャマだ、ジャマだッ!」
ということになり、どっちかが出ていくわけだが、それが、わが家では、
「いつも父親のほうだった」
というんだから、シマラない。なにかというと、仕事を放《ほう》り出したくてしかたがなかった父親にしてみれば、
「娘のピアノの練習にジャマになる」
というのは、仕事を放り出す絶好の口実だったのである。
かくて、庭先に小屋が建てられた。いまは、そこが父親の仕事部屋で、親子はやむをえず断絶の生活を送っている。
「書斎を少し広くとって、そこへピアノとステレオを入れよう」
ということになった。サラリーマンだったころのことである。
「そうすれば、昼間はあたしたちが学校から帰ってきて使えるし、夜はお父さんが会社から帰ってきて使えるじゃん?」
というのが、長女の提案理由だった。当時、わたしは出版社に勤めていて、いつも帰りが遅かった。
サイドビジネスではなくて、
「これが、インサイドビジネスだ」
と称していた原稿を書くのは、だから、深夜というよりは、むしろ早朝だった。帰宅すると、なにはともあれ一眠りし、それから明け方に起き出して、机に向かうのである。
そんなわけで、そのころ小学校六年生だった長女の提案は、スンナリ受け入れられた。一つの部屋を父親と娘たちが交替で使う。わが家に親子の断絶なんてなかった。
ところが、まもなくわたしが会社をクビになったから、困った。娘たちが学校から帰ってきて、
「ピアノでも練習しよう」
と、勢いよく書斎のドアを開け放つと、そこで、父親がウンウン唸《うな》りながら原稿を書いているのである。
当然のことながら、
「ジャマだ、ジャマだッ!」
ということになり、どっちかが出ていくわけだが、それが、わが家では、
「いつも父親のほうだった」
というんだから、シマラない。なにかというと、仕事を放《ほう》り出したくてしかたがなかった父親にしてみれば、
「娘のピアノの練習にジャマになる」
というのは、仕事を放り出す絶好の口実だったのである。
かくて、庭先に小屋が建てられた。いまは、そこが父親の仕事部屋で、親子はやむをえず断絶の生活を送っている。
ここで古くさい拙文を披露したことには、モチロン、意図がある。わたしの、この文章は、ある全国紙に広告として掲載されたのだが、掲載と同時に、
「バカモン!」
明治生まれの先輩から電話がかかってきたのだ。
「貴様が書斎を出て行くとは、なにごとだ? そういうときは、子供たちを放り出せ!」
先輩に言わせれば、
「書斎」
というものは、男の城なのである。その城を明け渡して、
「なんの面目ぞ」
というわけだ。
「そんなことだから、ちかごろの父親は子供にバカにされるのだ。父権を回復するために、いまからでも遅くない、子供たちを庭先の小屋へ追いやって、貴様は母屋《おもや》へ戻れ」
しかし、まあ、いまどき、こんな理屈が罷《まか》り通るわけがない。わたしは、先輩の好意には感謝しながらも、毎日のように庭先の小屋に赴くことを楽しんでいる。
それというのも、庭先の小屋は、わたしにとっては書斎であると同時に隠れ家なのだ。仕事場であると同時に別宅で、出城《でじろ》であると同時に離れ小島でもある。
したがって、ここには電話なんぞというヤボなものは引いてない。かりに、電話がかかってきても、
「電話ですよォ」
女房という名のマネージャーが呼べば届く距離だが、仕事中は(正確には、仕事をしていないときも)原則として電話には出ない。正直な話、いちいち電話に出ていた日には、なんのための隠れ家だか、わからなくなってしまうだろう。
浮世には、
「居留守」
という方便もあるのだ。電話という文明の利器に対抗するには、この方便を行使する以外に勝ち味はない。
それは、まあ、ともかく、子供たちに、この居留守を教えるのには苦労した。早い話が、それまでは、
「ウソを吐《つ》いちゃいけない」
と言っていた父親が、
「ウソを吐いていい」
と言うのである。子供たちにしてみれば、面白くって面白くって、
「父は、いま、いません」
と電話で言うたびに、
「エヘヘ、あたし、ウソ吐いちゃった」
と、仕事部屋へ報告にきて、父親の仕事のジャマをする。
言っちゃナンだが、これじゃ、なんにもならない。わたしは、
「子供たちに真実を言うように教えるのもむずかしいが、ウソを言うように教えるのもまた、それ以上にむずかしい」
と、しみじみ悟ったものだ。
それも、まあ、ともかく、わたしの書斎兼出城兼隠れ家兼離れ小島は、わが家の裏庭の隅っこに建てた六畳のプレハブだ。玄関先にはもう一つ四畳半のプレハブが建っていて、ここは書庫専用だが、いまや六畳のプレハブのほうも本棚に占領され、辛うじて机を置くスペースが確保されているだけである。
それでも、ここは、わたしにとっては王国で、ヒマさえあれば(いや、正確にはヒマがないときも)、ここに籠《こも》っている。ここにいる限り、わたしは、誰に気兼ねすることもなく、原稿を書くことや本を読むことはもとより、椅子にもたれて空想の世界に遊ぶこともできるのだ。
はじめのうちは、
「いっそのことフトンも持ち込んでしまおうかな?」
とも考えた。が、それは、
「そんなことをしたら、お父さんは、仕事部屋から一歩も出てこなくなっちゃうんじゃないの?」
という、次女の反対で潰《つぶ》れた。
そのあおりで、仕事部屋には、食べものはモチロン、酒も、茶も、トーゼンのことながら女も、持ち込まないことにした。ホント、そうでもしないことには、わたしが子供たちと顔を合わす機会は、ますます少なくなるだろう。
わたし自身は、それでもいっこうに構わないが、子供たちは大いに構うらしい。子連れモノ書きの、そこが泣き所でもある。
バカなことに、わたし自身は朝型だから、目覚めるのが家族のうちの誰よりも早い。だいたい、午前五時か六時には起きて、フトンの中で本を読んでいる。
朝、目が覚めてから、
「ボンヤリしている」
という趣味がないので、女房とは寝室を別にした。ヨソの女性とならイザ知らず、女房と一緒に寝るなんて、恥ずかしくってしょうがなかろう。起き出したら、フトンを畳んで、雨戸をあけ、新聞を取りに行く。新聞を眺めながら、コーヒーの豆を挽《ひ》いて、朝食に備えるわけである。
コーヒーは自分で三杯入れる。そのうちの二杯はわたしが飲んで、残りの一杯を女房が飲むか、長女、次女、三女が飲むかは、その日の風の吹き具合だ。
朝食が終われば、テレビをつける。NHKの『朝のニュースワイド』の最後のコーナーで、新聞に目を通し、それから「朝のテレビ小説」を見て、立ちあがる。
NHKの「朝のテレビ小説」を見る時間は、職住隣接どころか職住一致のわたしに言わせれば、通勤電車に乗っている時間のようなものである。いうなれば、ウォーミングアップの、またウォーミングアップかな?
この間《かん》、トーゼンのことながら便所に行くが、ここもまた、別天地だ。便器に腰をかけながら、
「お母ちゃん、お父ちゃんがトイレに入ったまま出てこないけど……」
「いいんだよ、あそこはお父ちゃんの部屋なんだから……」
といったコントを反芻《はんすう》したりする。
裏庭の隅の書斎兼仕事部屋兼出城兼隠れ家兼別宅兼離れ小島で、このわたしが最初にやることは、新聞の切り抜きである。それも、前日の新聞を切り抜く。
前日の新聞を切り抜くのは、新聞というやつ、一日たつと新聞ではなく、旧聞になっているからだ。おのずから、必要なものと必要でないものの区別がつく。
それを果物屋からもらってきたカゴに放りこんでおき、ふたたび一週間後に目を通し、さらに不必要なものは捨てる。できれば、二ヵ月後にまた読んで、ほんとうに必要なものだけをスクラップするのが理想だが、じつのところは、それが溜《た》まりに溜まって、わが書斎は、本棚と本棚との間に、横積みになった本や雑誌、それに新聞の切り抜きが投げ込まれた果物のカゴが並べられ、さながら故紙回収業者の倉庫だ。
しかし、まあ、この溜まりに溜まった新聞の切り抜きを、一年にいっぺんくらい、エイヤッとまとめて棄てるときの気持ちよさ! これこそ後宮に集めた三千の美女をいちどにクビにするような豪快な気分で、これもまた、男の隠れ家ならではの遊びだろう。
いまさら断るのもアホらしいが、わたしたちはつねに誰かに監視されている。とくにサラリーマンたちは、会社にあっては上役や同僚・部下に監視され、家庭にあっては女房・子供に監視されている。
会社にいる場合は、便所にいるときまで監視されているのである。ある会社で、ある男を課長に抜擢《ばつてき》しようか——というときに、ある重役が、
「あいつが小便をしている姿を見たら、とてもじゃないが課長の器じゃない」
と言った——という話は、あまりに有名であろう。
ナワノレンで飲んで、酔って部長の悪口など言おうものなら、
「翌朝には、もう呼び出される」
といったテイのものだ。ホント、瞬時もウカウカできぬ。
家庭にいる場合も、それは、同じだろう。たまにテレビの前に陣どって、カワイコちゃん歌手が歌っているのを見ながら、ヨダレでも垂らそうものなら、たちまちカミさんに、
「あなたッ!」
ととっちめられる。それも、
「また浮気の夢でもみているんでしょう」
と、あらぬ疑いまでかけられるのだ。
そこで、
「書斎を!」
というのは、これはもう、亭主たるものの最低の願いであることは、言うを俟《ま》たない。こいつばかりは、どんなことがあっても一部屋でなければならず、
「書斎がダメなら、せめてダイニング・キッチンの角に亭主コーナーでも……」
というのは、まったく意味がない。これでは、いつも背後に女房や子供の目があるようなもので、会社の便所とおんなじだ。
されば、どうしたって男には書斎が不可欠で、それは、たとえ女房・子供でも、
「無断で入ってはいけない」
という神聖な場所でなければならぬ。
書斎——
それは、前にも記したとおり、仕事部屋であり、出城であり、同時に隠れ家であり、別宅であり、離れ小島であるのだが、わたしにとっては、宝の山でもある。それも、未知との遭遇が期待できる宝の山だ。
わたし自身は、
「趣味は?」
と訊《き》かれたら、
「本を買うこと」
と答えようかな——と思っているくらい、本を読むことではなくて、本を買いこむことが好きだ。これは、子供のときに、ロクに本を買ってもらえなかったことの反動かも知れないが、とにかく本を買うことが好きなのである。
それが、もともとは書斎だったピアノとステレオが置いてある部屋にもズラリと並べられ、洗面所の脇にも並べられ、さらには四畳半のプレハブである書庫、六畳のプレハブである書斎にも並べられ、それだけでは並べきれなくて、八畳の部屋の前の廊下にも積み重ねられているテイタラクだ。その、どこに、どういう本が積まれているかは、おおよそ見当がついているが、サテ、実際に、
「ナニナニという本が必要だ」
ということになっても、下のほうに積まれているやつは、引っ張り出そうにも、出しようがない。かくて、
「やむをえず、もう一冊買ってくる」
ということも屡々《しばしば》で、また本が増える仕組みである。こうなると、たとえば井伏鱒二さんの限定版『厄除け詩集』(木馬社)を探しているうちに、和田垣謙三博士の大正名著文庫『兎糞録《とふんろく》』(至誠堂書店、初版・大正二年七月)と遭遇し、
「やあ、しばらく!」
と読みふけってしまうようなことも、しょっちゅうである。
考えてみると、改築にあたって、
「書斎を少し広くとって、そこへピアノとステレオを入れようよ」
と提案した長女も、いまは大学の四年生だ。あれから、十年余がたっているのである。
その間、父親は職を失い、職を求めて、ガムシャラに働いてきた。それもこれも、時に仕事部屋という名の隠れ家に籠って浮世ならぬ憂世を忘れることができたからだろう。わたしにしてみれば、
「当分の間、出たくない」
といった心境でもある。
「バカモン!」
明治生まれの先輩から電話がかかってきたのだ。
「貴様が書斎を出て行くとは、なにごとだ? そういうときは、子供たちを放り出せ!」
先輩に言わせれば、
「書斎」
というものは、男の城なのである。その城を明け渡して、
「なんの面目ぞ」
というわけだ。
「そんなことだから、ちかごろの父親は子供にバカにされるのだ。父権を回復するために、いまからでも遅くない、子供たちを庭先の小屋へ追いやって、貴様は母屋《おもや》へ戻れ」
しかし、まあ、いまどき、こんな理屈が罷《まか》り通るわけがない。わたしは、先輩の好意には感謝しながらも、毎日のように庭先の小屋に赴くことを楽しんでいる。
それというのも、庭先の小屋は、わたしにとっては書斎であると同時に隠れ家なのだ。仕事場であると同時に別宅で、出城《でじろ》であると同時に離れ小島でもある。
したがって、ここには電話なんぞというヤボなものは引いてない。かりに、電話がかかってきても、
「電話ですよォ」
女房という名のマネージャーが呼べば届く距離だが、仕事中は(正確には、仕事をしていないときも)原則として電話には出ない。正直な話、いちいち電話に出ていた日には、なんのための隠れ家だか、わからなくなってしまうだろう。
浮世には、
「居留守」
という方便もあるのだ。電話という文明の利器に対抗するには、この方便を行使する以外に勝ち味はない。
それは、まあ、ともかく、子供たちに、この居留守を教えるのには苦労した。早い話が、それまでは、
「ウソを吐《つ》いちゃいけない」
と言っていた父親が、
「ウソを吐いていい」
と言うのである。子供たちにしてみれば、面白くって面白くって、
「父は、いま、いません」
と電話で言うたびに、
「エヘヘ、あたし、ウソ吐いちゃった」
と、仕事部屋へ報告にきて、父親の仕事のジャマをする。
言っちゃナンだが、これじゃ、なんにもならない。わたしは、
「子供たちに真実を言うように教えるのもむずかしいが、ウソを言うように教えるのもまた、それ以上にむずかしい」
と、しみじみ悟ったものだ。
それも、まあ、ともかく、わたしの書斎兼出城兼隠れ家兼離れ小島は、わが家の裏庭の隅っこに建てた六畳のプレハブだ。玄関先にはもう一つ四畳半のプレハブが建っていて、ここは書庫専用だが、いまや六畳のプレハブのほうも本棚に占領され、辛うじて机を置くスペースが確保されているだけである。
それでも、ここは、わたしにとっては王国で、ヒマさえあれば(いや、正確にはヒマがないときも)、ここに籠《こも》っている。ここにいる限り、わたしは、誰に気兼ねすることもなく、原稿を書くことや本を読むことはもとより、椅子にもたれて空想の世界に遊ぶこともできるのだ。
はじめのうちは、
「いっそのことフトンも持ち込んでしまおうかな?」
とも考えた。が、それは、
「そんなことをしたら、お父さんは、仕事部屋から一歩も出てこなくなっちゃうんじゃないの?」
という、次女の反対で潰《つぶ》れた。
そのあおりで、仕事部屋には、食べものはモチロン、酒も、茶も、トーゼンのことながら女も、持ち込まないことにした。ホント、そうでもしないことには、わたしが子供たちと顔を合わす機会は、ますます少なくなるだろう。
わたし自身は、それでもいっこうに構わないが、子供たちは大いに構うらしい。子連れモノ書きの、そこが泣き所でもある。
バカなことに、わたし自身は朝型だから、目覚めるのが家族のうちの誰よりも早い。だいたい、午前五時か六時には起きて、フトンの中で本を読んでいる。
朝、目が覚めてから、
「ボンヤリしている」
という趣味がないので、女房とは寝室を別にした。ヨソの女性とならイザ知らず、女房と一緒に寝るなんて、恥ずかしくってしょうがなかろう。起き出したら、フトンを畳んで、雨戸をあけ、新聞を取りに行く。新聞を眺めながら、コーヒーの豆を挽《ひ》いて、朝食に備えるわけである。
コーヒーは自分で三杯入れる。そのうちの二杯はわたしが飲んで、残りの一杯を女房が飲むか、長女、次女、三女が飲むかは、その日の風の吹き具合だ。
朝食が終われば、テレビをつける。NHKの『朝のニュースワイド』の最後のコーナーで、新聞に目を通し、それから「朝のテレビ小説」を見て、立ちあがる。
NHKの「朝のテレビ小説」を見る時間は、職住隣接どころか職住一致のわたしに言わせれば、通勤電車に乗っている時間のようなものである。いうなれば、ウォーミングアップの、またウォーミングアップかな?
この間《かん》、トーゼンのことながら便所に行くが、ここもまた、別天地だ。便器に腰をかけながら、
「お母ちゃん、お父ちゃんがトイレに入ったまま出てこないけど……」
「いいんだよ、あそこはお父ちゃんの部屋なんだから……」
といったコントを反芻《はんすう》したりする。
裏庭の隅の書斎兼仕事部屋兼出城兼隠れ家兼別宅兼離れ小島で、このわたしが最初にやることは、新聞の切り抜きである。それも、前日の新聞を切り抜く。
前日の新聞を切り抜くのは、新聞というやつ、一日たつと新聞ではなく、旧聞になっているからだ。おのずから、必要なものと必要でないものの区別がつく。
それを果物屋からもらってきたカゴに放りこんでおき、ふたたび一週間後に目を通し、さらに不必要なものは捨てる。できれば、二ヵ月後にまた読んで、ほんとうに必要なものだけをスクラップするのが理想だが、じつのところは、それが溜《た》まりに溜まって、わが書斎は、本棚と本棚との間に、横積みになった本や雑誌、それに新聞の切り抜きが投げ込まれた果物のカゴが並べられ、さながら故紙回収業者の倉庫だ。
しかし、まあ、この溜まりに溜まった新聞の切り抜きを、一年にいっぺんくらい、エイヤッとまとめて棄てるときの気持ちよさ! これこそ後宮に集めた三千の美女をいちどにクビにするような豪快な気分で、これもまた、男の隠れ家ならではの遊びだろう。
いまさら断るのもアホらしいが、わたしたちはつねに誰かに監視されている。とくにサラリーマンたちは、会社にあっては上役や同僚・部下に監視され、家庭にあっては女房・子供に監視されている。
会社にいる場合は、便所にいるときまで監視されているのである。ある会社で、ある男を課長に抜擢《ばつてき》しようか——というときに、ある重役が、
「あいつが小便をしている姿を見たら、とてもじゃないが課長の器じゃない」
と言った——という話は、あまりに有名であろう。
ナワノレンで飲んで、酔って部長の悪口など言おうものなら、
「翌朝には、もう呼び出される」
といったテイのものだ。ホント、瞬時もウカウカできぬ。
家庭にいる場合も、それは、同じだろう。たまにテレビの前に陣どって、カワイコちゃん歌手が歌っているのを見ながら、ヨダレでも垂らそうものなら、たちまちカミさんに、
「あなたッ!」
ととっちめられる。それも、
「また浮気の夢でもみているんでしょう」
と、あらぬ疑いまでかけられるのだ。
そこで、
「書斎を!」
というのは、これはもう、亭主たるものの最低の願いであることは、言うを俟《ま》たない。こいつばかりは、どんなことがあっても一部屋でなければならず、
「書斎がダメなら、せめてダイニング・キッチンの角に亭主コーナーでも……」
というのは、まったく意味がない。これでは、いつも背後に女房や子供の目があるようなもので、会社の便所とおんなじだ。
されば、どうしたって男には書斎が不可欠で、それは、たとえ女房・子供でも、
「無断で入ってはいけない」
という神聖な場所でなければならぬ。
書斎——
それは、前にも記したとおり、仕事部屋であり、出城であり、同時に隠れ家であり、別宅であり、離れ小島であるのだが、わたしにとっては、宝の山でもある。それも、未知との遭遇が期待できる宝の山だ。
わたし自身は、
「趣味は?」
と訊《き》かれたら、
「本を買うこと」
と答えようかな——と思っているくらい、本を読むことではなくて、本を買いこむことが好きだ。これは、子供のときに、ロクに本を買ってもらえなかったことの反動かも知れないが、とにかく本を買うことが好きなのである。
それが、もともとは書斎だったピアノとステレオが置いてある部屋にもズラリと並べられ、洗面所の脇にも並べられ、さらには四畳半のプレハブである書庫、六畳のプレハブである書斎にも並べられ、それだけでは並べきれなくて、八畳の部屋の前の廊下にも積み重ねられているテイタラクだ。その、どこに、どういう本が積まれているかは、おおよそ見当がついているが、サテ、実際に、
「ナニナニという本が必要だ」
ということになっても、下のほうに積まれているやつは、引っ張り出そうにも、出しようがない。かくて、
「やむをえず、もう一冊買ってくる」
ということも屡々《しばしば》で、また本が増える仕組みである。こうなると、たとえば井伏鱒二さんの限定版『厄除け詩集』(木馬社)を探しているうちに、和田垣謙三博士の大正名著文庫『兎糞録《とふんろく》』(至誠堂書店、初版・大正二年七月)と遭遇し、
「やあ、しばらく!」
と読みふけってしまうようなことも、しょっちゅうである。
考えてみると、改築にあたって、
「書斎を少し広くとって、そこへピアノとステレオを入れようよ」
と提案した長女も、いまは大学の四年生だ。あれから、十年余がたっているのである。
その間、父親は職を失い、職を求めて、ガムシャラに働いてきた。それもこれも、時に仕事部屋という名の隠れ家に籠って浮世ならぬ憂世を忘れることができたからだろう。わたしにしてみれば、
「当分の間、出たくない」
といった心境でもある。