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男の日曜日46

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:独創と模倣みずから、「売文業」と称していた。もちろん、シャレのつもりである。そうしたら、小説家の藤本義一さんに、「売文業
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独創と模倣

みずから、
「売文業」
と称していた。もちろん、シャレのつもりである。
そうしたら、小説家の藤本義一さんに、
「売文業はないでしょう」
と言われたことがある。藤本さんがテレビの深夜番組『11PM』の司会をしていて、
「だから、義《ぎ》っちゃんは直木賞をもらえないのだ」
と、ウワサされていたころである。
藤本さんは、モノを書くことを「売文」とは考えていらっしゃらなかったのだろう。わたしなんぞに比べれば、藤本さんのほうが、よっぽどマジメだ。
のちに、
「売文業」
と名乗ったのは、
「オマエが最初ではない」
と教えられて、ひっこめた。お会いしたことはないが、明治時代に斎藤緑雨というひとが、そんなことを言っていたそうである。
誰かの結婚披露宴で、誰かがテーブルスピーチに立ち、
「結婚は辞書に似ている。すなわち愛にはじまり、腕力に終わる。お二人は、そういうことのないように……」
と喋《しやべ》っているのを聞いて、
「うまいことを言うもんだなあ」
と、感心した。こういうことは、なかなか考えつくものではない。
ところが、ひょんなことから、いまは亡き高見順さんが、
「人生も、あらゆる辞書と同じ、『アイ』(愛)にはじまり『ヲンナ』に終わる」
と書いているのを読んで、
「ナーンダ」
と思った。モトは、高見順さんにあったのだ。
そういえば、人類を、
「男類、女類」
というふうに分けたのは、焼跡闇市派の野坂昭如さんのように思われているが、あれだって、太宰治の小説『女類』に、酔っぱらいの主人公が、
「僕はね、人類、猿類、などという動物学上の区別の仕方は、あれは間違いだと思っている。男類、女類、猿類、とこう来なくちゃいけない」云々《うんぬん》
とクダを巻いているところがあって、
「あっちが本家ではないのか」
と知ったかぶりをしたら、もっと知ったかぶりの奴がいて、
「なあに、それだって、とっくの昔に国木田独歩が言ってるよ」
と一蹴《いつしゆう》された。ウソかホントか知らないけれど、世のなかには、へンなことを知ってる奴がいるものだ。
余談ながら、
「男には義理があり、会社には経理がある」
と言ったのは、かの五木寛之さんである。わたくし、この文句に、
「そして、女には生理がある」
とつけ加えてイイ気になっていたら、昔、長谷川如是閑というひとが、
「男は月給に支配され、女は月経に支配される」
と喝破していたそうで、わがことながら、
「ナーンダ」
ということになっちゃった。
こうしてみると、
「独創」
ということが、いかにむずかしいものであるか——が、よくわかる。こっちは、ない知恵しぼって、やっとのことで新しいアイデアを考え出したつもりでも、世の中にヘンなモノ知りがいて、
「そいつは、過去に何某が言ったよ」
と、ちょいと耳元で囁《ささや》けば、それでいっぺんにクシュンとなってしまう。人生、バカバカしくって、
「やってられるか」
という気になっちゃう。
しかし、まあ、どうだろう? 斎藤緑雨さんにしたって、高見順さんにしたって、国木田独歩さんにしたって、そのころ、やはり批評家ヅラした奴に、
「きみは、いまさらのようにそんなこと言っているけれど、そんなことは、江戸時代に(あるいは、中国で)ナントカという奴が、こういうふうに言ってたよ」
と言われたかもしれないのである。そんなことにかかずらっていたら、せっかくのアイデアもしぼんでしまうだろう。
だから、
「盗んでもいい」
というのではないが、他人に模倣とヒヤカされることを恐れるな。その発想を伸ばすべし。
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