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男の日曜日51

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:鎖につながれた犬エッセイストクラブ賞を受賞した早川良一郎さんの『さみしいネコ』(潮出版社)を読んでいたら、愛犬チョビを連
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鎖につながれた犬

エッセイストクラブ賞を受賞した早川良一郎さんの『さみしいネコ』(潮出版社)を読んでいたら、愛犬チョビを連れて散歩の日々を送っているうち、毎日のように鎖につながれている犬たちに吠えられることに触れて、
「ある日、ふと吠える犬たちが、サラリーマンに思えてきた」
と書いている文章にぶつかって、思わず吹きだした。元経済団体連合会事務局勤務、定年大先輩の早川さんは、こんなふうに述べていらっしゃる。
いわく、
〈吠えながら、あっちを見たりこっちを見たり落ちつかないのがいる。ありゃ課長だ。
もっさりとお義理で吠えてますってのがいる。定年前の部長である。
じっとしていて、一声、重々しく「ワン」というのがいる。重役であろうか。
ちっぽけなくせに、鎖もちぎれよとばかりあばれて吠え回るのがいる。係長クラスであろうか。
こんなことを考えながら、いくら吠えたってしょせんは鎖につながれた身ではないかと、勤め先の誰彼の顔を思いながら、身軽にチョビと通るのは、なんとなく楽しいものである〉
サラリーマンのことを、
「鎖につながれた犬」
というふうに形容するのは、なにも早川さんの発明ではない。ちょいと気の利いた人間なら、誰でも思いつくことだろう。
しかし、早川さんの発想の素晴らしさは、一匹一匹の犬をあげつらって、
「ありゃ課長だ」
「定年前の部長である」
と看破してみせたことだろう。サラリーマンにもサラリーマンの相があるように、犬にも犬の相がある。
ところで、
「鎖につながれた犬」
ということでは、このわたしにも思い出がある。他人に喋《しやべ》れるような事柄ではないかも知れないが、まあ、聞いてください。
——あれは、大阪のテレビに出演したときのことだ。いまを時めく竹村健一さんとフランソワーズ・モレシャンさんの番組だった。その番組に、わたしは、
「サラリーマンの代弁者」
ということで出演したのである。
打ち合わせの段階で、竹村さんとモレシャンさんが、なにやらフランス語でヒソヒソやっている。どうも目顔から察すると、ゲストのわたしを、
「困らせてやれ」
という相談らしい。
自慢じゃないが、わたしは、世界各国語に通じているつもりだけれど、英語とフランス語とロシア語とドイツ語とイタリア語とスペイン語と中国語と朝鮮語がダメなのである。要するに、外国語はぜんぜんダメだ。
が、話すことはダメでも、フランス語ぐらいなら、どうにか聴くことはできる。いや、そのときだけは、竹村さんとモレシャンさんがフランス語で喋っていることがハッキリわかった。
それは、こういうことなのだ。番組がはじまったら、とにかくゲストのわたしにサラリーマン論をぶたせる。そのあとで、竹村さんかモレシャンさんが、
「そういうけれど、どうせサラリーマンなんて、鎖につながれた犬のようなものじゃないですか」
といって、わたしのサラリーマン論に水をぶっかける算段だった。
そこで、わたしは、番組がはじまったとたんに、言ったものだ。
「サラリーマンて、なんだろう? わたしに言わせると、サラリーマンとは鎖につながれた犬のようなものであります。早い話が、ネクタイは犬の首輪でしょう。では、なぜ犬は鎖につないでおかなければならないか?」
話は、たったこれだけのことだ。が、わたしは、いまでも、あのときの竹村さんとモレシャンさんの、
「やられたァ」
という表情を忘れることができない。竹村さんやモレシャンさんにしてみれば、
「出端《でばな》をくじかれた」
といったところであろう。
その竹村さんに、このあいだ、久しぶりで会った。なにかのパーティで誰かと談笑していた竹村さんが、知らん顔をして通りすぎようとしたわたしをみると、
「やあ!」
あの人なつっこい調子で、ウイスキーグラスを上げてみせたのである。
あとにも先にも、竹村さんに会ったのは、あのテレビに出演したときだけなのに、テキも、こっちのことを覚えていたのかもわからない。
ありゃあ、犬だったら、何だろう?
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