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男の日曜日55

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:いいなあ、君昔っから、「隣の花は赤い」という。他人のことはよく見えることのたとえである。宮仕えの身からみれば、自由業とい
(单词翻译:双击或拖选)
いいなあ、君

昔っから、
「隣の花は赤い」
という。他人のことはよく見えることのたとえである。
宮仕えの身からみれば、自由業という名の不自由業に属しているわたしなんぞも、けっこうよく見えるらしい。ときどき羨望めいたことをいわれる。
このあいだも、サラリーマンをやっている友人に、
「いいなあ」
と言われた。
「なぜ?」
「だって、きみは、働けば働いただけカネになるじゃないか。サラリーマンは、そうはいかない」
そこで、
「バカな!」
と、わたしは答えた。
「きみたちのほうこそ、いい身分だと思わないか」
「なぜ?」
「だって、きみたちは、働かなくてもカネになるじゃないか。われわれ不自由業者は、働かなければカネにならない」
言いながら、
「ちとキツいかな?」
とは思ったけれど、売り言葉に買い言葉である。彼が、理由もなく他人を羨《うらや》むからいけない。
サラリーマンをやめて辛いのは、仕事をサボることができなくなったことである。サボれば、テキメンにメシの食いあげになっちまう。
サラリーマン時代は、
「たとえ二日酔いでも、会社へ来い」
と、部下たちに言い聞かせてきた。仕事ができるような状態でなくても、サラリーマンにとっては、
「出社する」
ということが大切だった。
それが、サラリーマンをやめたら、
「たとえ二日酔いでも、仕事場へ行くだけは行け」
というわけにはいかない。二日酔いで誰かに会おうものなら、イッパツで仕事がなくなってしまう。
いま思うと、
「サボる」
ということは、サラリーマンだから、できたことだった。サラリーマンは、仕事をサボッて、たとえばクビになったところで、サラリーマンをやめればそれで済むが、自由業という名の不自由業者がサボッて仕事を失った場合は「サラリーマンに戻ればいいじゃないか」ということにはならない。
「働かざる者、食うべからず」
と言ったのは、たしかマルクスだったと思う。よく知らないが、聖書のなかのパウロとやらも、
「働きたくない者は食わなくてもいい」
と言っているそうな。社会主義者も、キリスト教徒も、同じようなことを言っているところが、おかしい。
あれは『子供と私』というテーマで、コメディアンのUさんの家を訪ねたときだった。わたしが社会部記者のころだから、二十年以上も前のことだ。
「大きくなったら、何になりたい?」
という質問に、息子さんが、
「お父さんみたいなコメディアンになる」
と答えたのを聞いて、Uさんが飛びあがって喜んだ。
「息子も、どうやら親父の仕事を理解してくれているようです」
ところが、
「なぜ?」
と、わたしが訊いたら、息子さんは答えたものだ。
「だって、お父さんは、毎日のようにテレビに出て遊んでいるじゃないか。遊んでおカネがもらえるなら、こんなにいいことはない」
いやあ、その言葉を耳にしたときのUさんの悄気《しよげ》ようといったら、なかった。ちょっと前に、
「息子も、どうやら親父の仕事を理解してくれているようです」
と、飛びあがって喜んだだけに、切なかったろう。
「働く」
という字は、日本人がつくった�国字�だそうだ。人が動けば「働く」で、
「人間は、生まれたときに、すぐ動くでしょう? 体を使うことは、本能的に楽しいことなのですよ」
と言う学者もいるほどだ。
サラリーマンをやめるために働くのか? サラリーマンをやめたから、働くのか? それが、問題じゃ。
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