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男の日曜日61

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:なぜネクタイかオヤジのところに年始に行こうとして、ネクタイを締めながら、「こうやって、ネクタイを結ぶのも、久しぶりだなあ
(单词翻译:双击或拖选)
なぜネクタイか

オヤジのところに年始に行こうとして、ネクタイを締めながら、
「こうやって、ネクタイを結ぶのも、久しぶりだなあ」
と呟いたら、女房に笑われた。女房に言わせると、
「あら、イヤだ。きのうも締めていらしたじゃアありませんか」
ということだ。
そう言われれば、そうだ。きのうは、お世話になったひとのところへ挨拶に出かけたのだけれど、そのときも、たしかにわたしはネクタイを締めていた……。
それなのに、いま、こうしてネクタイを締めながら、不意に、
「こうやってネクタイを結ぶのも、久しぶりだなあ」
といった感慨が浮かんできたのは、なぜだろう? わたしは、ネクタイを結ぶ手を止めて、しばらくボンヤリした。
——サラリーマンをやめて、五年になる。自分の意志でなったサラリーマンだが、やめるときは、自分の意志ではなかった。会社が身売りをしてしまったのだ。
新しい経営者に、
「やめてくれないか」
と頼まれて、
「いいですよ」
二つ返事で引き受けた。わたし自身は定年まで勤めるつもりだったのだが、会社のほうで、
「要らない」
というんでは仕方がない。
それだけに、サラリーマンであることに未練が残っているのだろう。会社をやめてからも、わたしは、つとめてサラリーマンふうであろうと心がけてきた。
たとえば、ひとと会うときに、いまでもバカの一つ覚えみたいに、
㈰ クツは磨かれているか
㈪ ズボンの折り目はついているか
㈫ ワイシャツの襟《えり》や袖口は汚れていないか
㈬ ヒゲは剃《そ》ってあるか
㈭ 髪の毛は乱れていないか
㈮ ツメは伸びていないか
といったことをチェックするのだが、これなどもサラリーマン時代からの習性だ。そうして、これらのことは、もちろん、背広を着て、ネクタイを締めてからの作業である。
じつは、このネクタイがうまく結べない。なにごとも、
「初めが肝心」
というけれど、わたしに初めてネクタイの結び方を教えてくれたのは、明治生まれのオヤジである。しかし、このオヤジは商人だったから、めったなことではネクタイなんか締めなかった。
そんなオヤジにネクタイの結び方を教わるわたしもわたしだが、いまにして思えば、あれは、オヤジに対して、
「おかげで、オレも社会人になれたよ」
というメッセージだったはずだ。オヤジもエラそうな顔をしてわたしにネクタイの結び方を教えることで、
「よかったな」
ということを告げていたにちがいない。
だから、わたしは、オヤジに教わった武骨な、そして、旧式なネクタイの締め方に、ずっとこだわってきた。のちに、ネクタイ売り場でシャレたネクタイの結び方を教わったけれど、ふと気がつくと、いつのまにかオヤジに教わったとおりの結び方をしているのである。
あのとき、オヤジは言ったものだ。
「勤め人になった以上は、向こうが�やめてくれ�と言うまでは、やめるなよ」
できることなら、兄貴に代わってわたしに店を継がせたいと思っていたらしいオヤジにとって、
「入社試験に合格したよ」
と報告にいったわたしは、いったい、何だったのだろう? まして、たとえ会社の都合とはいえ、二十年足らずで、その会社をやめてしまったわたしは、何なのだろうか?
ネクタイを締めながら、わたしは、
「ネクタイというものを締めなくなった。サラリーマンをやめて、一番変わったことの一つが、それだろう」
という、小説家・赤川次郎さんの文章を思い出していた。赤川さんは、サラリーマンをやめた日からネクタイを締めることをやめてしまったようだが、わたしは、いまだに締めている。
それは、
「サラリーマンをやめたい」
と思ってやめた人間と、
「サラリーマンをやめたくない」
と思ってやめた人間とのちがいかも知れない。わたしは、オヤジへの言いわけのためにも、サラリーマンふうでありつづけねばならぬ。

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