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男の日曜日62

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:乗車のテクニック通勤電車にも、「乗車のテクニック」というやつがある。聞けば、アメリカンフットボールの要領なんだそうだ。と
(单词翻译:双击或拖选)
乗車のテクニック

通勤電車にも、
「乗車のテクニック」
というやつがある。聞けば、アメリカンフットボールの要領なんだそうだ。
とにかく、車内になだれこんだら、すぐに左右の空間を見つけ、それにうまく体をもっていくこと。つまり、乗り際の見きわめが大切で、
「空間が、どのあたりにあるか」
ということを乗ったとたんに判断できるようにならなければならないらしい。
一番手はそれでいいとしても、あとは、まあ、そういうベテランをみつけ、そのうしろについていくよりほかに、しょうがない。この場合は、ひとの流れに順応していくのが第一だ。
それにしても、駅のホームで電車を待つときは、なぜか三列だ。いうなれば、三列縦隊である。
トーゼンのことながら、
「なるべくハジへ行かない」
といったことぐらいは、心得ていたほうがいいだろう。電車になだれこむとき、ハジき出されてしまう恐れがある。
とにかく、つねに三列縦隊の真ん中にいることが、カンジンだ。こういうことは、列に並ぶときから心がけなければなるまい。
真ん中にいれば、電車が入ってきたときに一歩前へ出るだけで、うしろの人間はもちろん、両サイドから押されて、自然になだれこむようになる。あとは、前に述べたように、空間を捜せばよいのである。
しかし、誰か降りる奴がいたら、災難だ。まあ、朝の通勤電車で、あなたが電車に乗るような駅に降りる奴がいることは滅多にないだろうが、そのときは、とっさにそいつがどっちに向いて降りるかを見きわめ、そいつの背中をすり抜けて乗ることだ。
乗ったら、ドアのわきの僅かな空間をめざすのが、最善だろう。なまじ、吊《つ》り皮につかまったりすると、押されるたびに足を踏んばって、かなりのエネルギーを消耗する。
ドアのわきの空間をすすめるのは、ここなら、電車が止まるたびに、ちょいとした足踏みができるからだ。踏んばるのではなく、みずからの意志で足踏みをする。その差の、ちいさくて、何と大きなことよ!
目の前に自分より背の高い奴が立っていたら、これも避けたほうがよさそうだ。背の高い奴に寄りかかられると、ひどく疲れてしまう。
されば、
「逆に背の低いひとのそばは、どうか?」
ということになる。これは、寄りかかるのに、まことに都合がいい。
でも、
「誰かに寄りかかりながら、通勤しよう」
といった考え方は、サラリーマンの風上にもおけない。ときに自分で踏んばっても、前に向かって進むべきだ。
さもないと、会社にあっても、誰かに頼ろうとする。挙句《あげく》は、その誰かがひょいと去ったら、倒れてしまいかねない。
それは、まあ、ともかく、世の中には要領のいい奴がいるものだ。電車を待っているあいだは、三列縦隊の右か左、つまりハジにいて電車がホームに入ってきたときは、真ん中の人間を出し抜いて、スイッと前に出る奴だ。
こういう奴は、会社の人事でも、同僚たちをさしおいてスイッと昇進しているのだろうか? 忌々《いまいま》しいけれども、こういう奴らには叶《かな》わない。
タクシーの運転手にも、こうやって客を拾う奴がいるんだそうだ。信号が赤で、横断歩道の向こうで客が手を挙げている。
「よし」
ということで、信号が青になるのを待って前へ出ようとすると、外側からスイと前に出てきて、客の前に止まる。なんだかトンビにアブラゲをさらわれるみたいで気色がわるい。
だけど、
「こういう奴に限って、かならず事故を起こすね」
というのは、ある老運転手の述懐だった。彼に言わせると、
「そんなことばかりやっていると、隣にダンプがいてもスイと前に出るようになり、ひっかけられる」
ということだ。
なんだか、
「なんとかして同僚を出し抜こう」
と考えているサラリーマンのことを皮肉られたみたいだが、実感である。人間、他人を出し抜くことばかり考えていると、ロクなことはない。
そんなわけで、サラリーマンにとって、通勤電車はサラリーマン生活そのものの象徴だろう。数すくないシート、つまりポストをめざし、しかし、坐れぬままに降りるのだ。
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