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男の日曜日63

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:労働者諸君の連帯郵便に、「郵便番号を書こう」ということになってから、かなりの年月がたつ。それでも、まだまだ徹底していない
(单词翻译:双击或拖选)
労働者諸君の連帯

郵便に、
「郵便番号を書こう」
ということになってから、かなりの年月がたつ。それでも、まだまだ徹底していないようだ。
べつに、
「書かなければならぬ」
というものでもない。また、かりに書かなくても罰せられるわけではないし、郵便だって届くのである。
郵政省では、
「郵便番号も住所の一部」
と言うが、郵便を出す側の立場からすれば、
「住所を書いたうえに、郵便番号も書かされるのか」
ということになる。郵政省のほうで、あんまり、
「書け、書け」
と言うと、つい反発したくなる気持ちもわからないではない。そして、なにはともあれメンドくさい。
しかし、わたしは、郵便を出すとき、なるべく郵便番号を書くようにしている。郵便番号の書いてない郵便に返事を出すような場合は、わざわざ郵便番号簿で調べて、書くことにしている。
「郵便番号の位置を示す赤いワクは、いかにも情緒がない」
という気がしないでもないが、
「機械読みとりのためには、現在の技術では、あの赤いワクは必要だ」
と聞いて、
「やむをえまい」
と考えている。郵政省の説明によると、現在の機械は、まず赤いワクをとらえて、それからワクの中の番号を読みとるそうな。そして、ワクのないものは、読みとり不能として手分けのところへ流してしまうらしい。
されば、
「あの赤いワクのない郵便物には、郵便番号を書かなくてもよいか」
というと、そうでもあるまい。かりに手分けのところへまわされても、郵便番号が書いてあれば、仕分けるのに便利だろう。
そうだ。わたしは、ここで、それこそ何の気なしに、
「郵便番号が書いてあれば、仕分けるのに便利だろう」
と書いたけれど、郵便を仕分ける側にとって、
「便利だろう」
と思うから、郵便番号を書くのである。これが、郵便番号を書いても、書かなくても、便利さは、
「そんなに変わらない」
というのであれば、わたしは、なにも郵便番号簿を照合してまで、郵便番号を書きはしない。
そこで、
「なぜ、そこまでするか」
というと、
「郵便局で働くひとたちも、われわれサラリーマンと同じ働く仲間だ」
と思うからである。同じ働く人間が、働く仲間に、
「少しでも負担をかけまい」
と努力するのは、これは、トーゼンのことではなかろうか?
よしんば、
「合理化」
ということで機械を導入し、
「げんに働いているのは人間ではなくて機械ではないか」
というジョウダンも成り立たないわけではないが、こういうジョウダンは、例の赤いワクつきの封筒、ハガキを使い、そこに、きちんと郵便番号を書いたうえで、言うことだ。さもなかったら、
「機械を働かせる」
ということにはならない。
ところで、わたしが郵便番号の話をもちだしたのは、あくまでも比喩《ひゆ》だ。なによりも、このわたしは、
「同じ働く人間は、働く仲間に、少しでも負担をかけまい」
ということを言いたくて、これだけのことをつづってきた。
それなのに、たとえば郵政、たとえば国鉄の諸君が、同じ働く仲間であるサラリーマンの迷惑も顧みず、ときにストを行ったりするのは、
「なぜだろう?」
と言いたいのだ。
あるいは、始発駅のバスの運転手が発車直前まで客を乗せることを嫌って、雨が降ったり、風が吹いたりしていても、ドアを開けようとしないのは、
「なぜだろう?」
と言いたいのだ。
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