返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

男の日曜日73

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:身の不運たとえば、会社ぐるみでトトカルチョかなんかやって、警察に摘発されたりすると、テキメンに、「この程度のバクチは、誰
(单词翻译:双击或拖选)
身の不運

たとえば、会社ぐるみでトトカルチョかなんかやって、警察に摘発されたりすると、テキメンに、
「この程度のバクチは、誰だってやっているじゃないか」
という声が起きる。失礼ながら、あまりミットもいいもんじゃない。
たしかに、あの程度のバクチなら、誰だってやっているかも知れない。たぶん、やっているだろう。
しかし、
「だから、カンベンしてやれ」
というふうに理屈を展開するわけにはいかない。固苦しいようだが、法は法である。
ひどいのになると、警察が摘発した記事を読んで、
「新聞記者にバクチを批判する資格があるのかッ」
と、見当ちがいなことを言いだす奴がいるから、おもしろい。改めて説明するのもバカらしいが、新聞には摘発をうけたことは書いてあっても、批判がましいことは一言も書いてないはずである。
それなのに、
「新聞記者にバクチを批判する資格があるのかッ」
と大きな声を出す人間は、
「書かれたことは、すなわち批判されたことだ」
と思っているのである。こういう人間には何を言ってもはじまらない。
それはそれとして、新聞記者がマージャンなどのバクチをやっていることは、事実だ。サラリーマンだって、やっている。マゴマゴすると、政治家だって、実業家だって、ゴルフのコンペで賭《か》けているだろう。
げんに、わたしが新聞記者だったころ、警視庁の記者クラブで賭けマージャンをやっていて、手入れを喰らった仲間たちがいた。警視庁が暗黙の了解を無視して、記者クラブに手を入れたのも、通報があったからである。
それも、他愛もないことが原因だった。たまたま某社の給仕君が原稿かナンかを取りにきたとき、マージャンに夢中になっていた某君が、
「うるせえ」
とかナンとか言ったのである。
アタマにきた給仕君は帰りがけに警視庁の玄関に立っている巡査に、
「いま、記者クラブで賭けマージャンをやっている」
と、タレこんだ。警視庁としても、訴えがあった以上は、手入れを行わないわけにはいかない。
そんなわけで、
「新聞記者だって、バクチぐらいやってるじゃないか」
と言うんなら、新聞記者だって手入れぐらい喰らっているのである。会社ぐるみでトトカルチョをやり、
「警察に摘発されたから」
といっても、新聞記者にヤツアタリすることはない。
それにしても、
「誰だってバクチぐらいやっている」
ということは、このわたしも認める。しかし、どこかの会社みたいにファクシミリまで使って、オオッピラにやっているわけではあるまい。
浮気もそうだが、バクチなんて、本来コソコソやるべきものではなかろうか? わたし自身は、例の売春防止法施行以来、カネで女を買ったことはないけれど、トルコ通いとやらも、同じことだ。
ところが、ちかごろの風潮をみていると、世のサラリーマンたちに、
「バクチをやって、どこが悪い?」
といった居直りや、
「浮気をして、どこがいけない?」
といった居直りや、
「トルコへ行って、どこがおかしい?」
といった居直りがみられるのは、いかにも品がない。わたしに言わせれば、そういうことは人目を忍んでやってはじめて楽しいはずである。
バクチをやっていることがバレて警察に捕まり、あるいは浮気をしたことが知れて女房に逃げられ、またはトルコへ行ったために病気かナンか背負って、
「思えばツイてないなあ」
と、身の不運をかこつことは仕方がない。だからといって、
「カンベンしろ」
と叫んだり、
「みんなも同じような目に遭えばいい」
と怒鳴ったりするのは、あまりにも筋ちがいだ。
バクチや浮気や女を買うことは、あくまでもイケナイことなのだ。それゆえに楽しくもあるのだが……。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论