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男の日曜日77

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:嫁と姑《しゆうとめ》あの「週刊朝日」に、シナリオライターの橋田寿賀子さんが、「おふくろと女房に共同戦線を張られるくらい居
(单词翻译:双击或拖选)
嫁と姑《しゆうとめ》

あの「週刊朝日」に、シナリオライターの橋田寿賀子さんが、
「おふくろと女房に共同戦線を張られるくらい居心地の悪いものはないという男性がいる。が、その実、内心は嬉しいに違いないのである」
と書いていらっしゃるのを読んで、
「あ、オレのことだな」
と思った。わたくし、橋田さんがNHKの大河ドラマ『おんな太閤記《たいこうき》』のストーリーを掲載している婦人雑誌の対談で、嫁と姑の問題について、
「嫁と姑の仲が悪いから、夫は安心していられるんではないか」
と喋《しやべ》ったのである。
正直な話、休みの日に、おふくろと女房がケンカをしてくれるから、われわれサラリーマンは、晴れてパチンコに出かけることができるのである。これが、おふくろと女房の仲がよかった日にゃ、パチンコに出かける口実がなくなってしまう。
それにしても、嫁と姑のケンカくらい、おかしなものはない。嫁は「姑にいびられた」と言い、姑は「嫁にいじめられた」と言うけれど、いびられた嫁といじめられた姑ばかりがいて、いじめた嫁もいなければ、いびった姑もいない。そこが、不思議である。
いびられた嫁がいる以上は、いびった姑がいるはずだろう。そうして、いじめられた姑がいる以上、いじめた嫁だっているはずである。
そのくせ、
「あたしは嫁をいびった」
という姑もいなければ、
「あたしは姑をいじめた」
という嫁もいない。いじめた奴も、いびった奴もいないのに、いじめられた奴やいびられた奴がいるのである。こんな計算に合わない話はない。
ときどき、
「誰か�あたしは嫁をいびりました�というひといないかなあ」
と思う。あるいは、
「誰か�あたしは姑をいじめました�というひといないかなあ」
とも思う。そういうひとがいたら、この世の中、もう少し嫁と姑のケンカが減るのではなかろうか?
それは、まあ、ともかく——
嫁と姑の仲がよかった日には、わたしなんか、落ちつかない。わたしの友人に、いまの女房と前の女房が仲よしで、友人が外泊でもしようものなら、いまの女房が前の女房のところへ言いつけにいって、いまの女房と前の女房の二人に、
「許しません」
と、叱られ、クサっていた奴がいるが、嫁と姑の二人に、
「許しませんッ」
とやられたら、それ以上の苦しみだろうなあ。
ヘンなもので、かりに亭主が浮気したりして、嫁が姑に泣きつくと、姑はナンか嬉しいらしくて、
「あんたが悪いからよ」
と、ニンマリするようなところがある。あれは、姑の生き甲斐《がい》なんだろうか?
あれが、嫁も姑も一緒になって、浮気した男を指さし、
「あなたが悪い」
「おまえが悪い」
と言ってみろ! オレなんざ、二人がデキてるんじゃないか——と疑っちゃう。
ホントのことをいって、オレならオレが不始末をしでかしたのに、おふくろが女房に向かって、
「あんたが悪いからよ」
と言うから、
「いいや、オレが悪かったんだ」
と言うこともできるのである。それが、二人から、
「あんたが悪い」
「おまえが悪い」
と言われたら、
「うるせえ」
ということになってしまう。そうして、ついには、
「オレが出ていけば、いいだろう」
ということになってしまう。ホント、あとは二人でうまくやってもらいたい。いや、そんなことを言わなくたって、二人はうまくやっていくだろう。
こうしてみると、嫁と姑の仲が悪いのは、家庭の平和にとって、
「まことに都合がいい」
ということがわかる。なかんずく亭主にとっては都合がいい。
そんなわけで、誰が嫁と姑のケンカの仲裁などするものか。あれは、洞《ほら》が峠をキメこむに限るのである。
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