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男の日曜日80

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:あとがき忘れられないエピソードがある。ウソのようなホントの話だ。あれは、高校一年か二年のときだから、二十年以上も昔のこと
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あとがき

忘れられないエピソードがある。ウソのようなホントの話だ。
あれは、高校一年か二年のときだから、二十年以上も昔のことだ。英語の時間に、若い教師が教科書を片手に立ち往生をしてしまったのである。
無理もない。教科書には、母親が少年に与える言葉として、
「Play, play, play, and play!」
というセリフが載っていたのだ。
「遊べ、遊べ、遊べ。そして遊べ……」
と訳しかけて、さすがに教師は絶句した。いくらナンでも「おかしい」と思ったにちがいない。
しかし、なんど目をこすっても、そこには「Play, play, play……」と書いてある。ぜったいに見まちがいではない。
なあに、タネ明かしは簡単だ。これは、ショパンか誰かの伝記の一節で、ピアノを前にした少年に向かって、彼の母親は言ったのである。
「Play, play, play, and play!」(弾いて、弾いて、弾きまくれ!)
じつは、英語では「遊ぶ」ということも「演奏する、ピアノを弾く」ということも、同じ「play」だ。このほかに「play」には「(動物が)はねまわる」「競技をする」「芝居をする」「ふざける」といった意味もある。
それにしても、
「play」
といえば、
「遊ぶ」
ということだ——と思い込んでいた教師には、ちょっと気の毒だった。終戦直後の六・三・三・四制が発足したころの高校には、まだまだこんな教師がいたのである。
戦争中、小学校(当時は国民学校と言ったが)の児童(当時は少国民と呼ばれていた)だったわたしたちは、
「よく学び、よく遊べ」
と教わったものだ。このことからも想像がつくように、わたしたち日本人は、どうも昔から「学ぶ」ことと「遊ぶ」こととを対立させて考えてきた。
だが、子供たちにとっては、学ぶことも、遊ぶことも、ほとんど変わりはないのではないか。学ぶことが遊ぶことであり、遊ぶことが学ぶことではなかったか。
この本は「週刊朝日」に『男の日曜日』と題して連載したコラムと「労働新聞」に『青木雨彦の会社学・社会学』という題で連載したサラリーマン・エッセイを中心に編んだ。ほかに「労働時報」や「Voice」や、「続続・書斎の復活」に載せてもらった作品も収録したが、いずれも一九八一年から八二年にかけて書いたもので、テーマは、もちろん「遊ぶこと」「学ぶこと」「働くこと」すなわち「生きること」である。
作品の取捨選択ならびに編集は、例によって木田康彦氏の手を煩わせた。この本への収録を快諾してくださった各誌の編集者のみなさんと併せて、感謝の意を表したい。
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