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ネコの住所録03

时间: 2020-02-08    进入日语论坛
核心提示:うずまき猫の行方飼っていた動物が忽然《こつぜん》と姿を消してしまうのはとても悲しいことである。去年の夏のことだったが、町
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うずまき猫の行方

飼っていた動物が忽然《こつぜん》と姿を消してしまうのはとても悲しいことである。去年の夏のことだったが、町内のいたるところに一夜にしてすごい枚数の張り紙が出現したことがあった。電信柱、塀、銭湯やスーパーマーケット、コンビニエンス・ストアの入り口にまで、人が集まると思われる場所全部にその紙は貼られていた。いったいなんだろうとそばに寄ってみると、それは、
「うちのチビちゃんをさがしてください」
という、失踪《しつそう》した猫捜しの紙だった。週刊誌を開いたくらいの大きさの紙には、子供の手による、お腹の部分に大きなうずまき模様があるチビちゃんの似顔絵が描いてあった。そして絵の下には、
「おなかのところの、うずまきもようがとくちょうです」
と添え書きがしてあった。連絡先などとともに、
「みつけてくださったかたには、おれいをします!」
と書いてあるところが泣かせる。きっと散歩かなんかにいっているのだろうと思っていたチビちゃんが、いつまでたっても帰ってこないので、飼い主一家が真っ青になって町内に張り紙をしたに違いない。子供が半泣きになりながら一所懸命チビちゃんの似顔絵を描いたのかと思うと、自分には関係ないことながら、
「無事に帰ってくればいいのに」
と何となく気になっていたのだ。
それから一か月のあいだ、この「うずまき猫」のことが、あちらこちらで話題になっていた。顔見知りの毛糸屋さんは、
「うずまき猫の張り紙見た? あれだけ特徴があればすぐわかりそうなのにね」
といい、魚屋のおばさんは、
「あたしも気をつけてるんだけどねえ。似てるのはよく見るけど、お腹にうずまきがないんだよ」
と悔しそうにいった。なかには、
「ねえ、ねえ、御礼っていったいなんだろうね」
などとうずまき猫の行方を心配するより、何がもらえるかを楽しみにしている不謹慎な人もいた。人それぞれであったが、とりあえずあの張り紙は町内の人々に「うずまき猫のチビがいなくなった」という事実を知らしめるのには成功したのである。
猫を飼っていると、いつも行方不明の恐怖と背中合わせである。私の家でもトラというメス猫が一日でも帰ってこないと、何かあったんじゃないかと気を揉《も》んだものだ。「大丈夫」と信じながらも「もしや……」という不吉な思いも捨て切れない。寝る気にもなれずに悶々《もんもん》としているところへ、
「フニャー」
と、間抜けた声で鳴きながら帰ってくると、
「ああ、よかった」
と心底ホッとする。しかしそのあとだんだん腹が立って、張り倒したくなってくるのだ。連絡もなく外泊するというふしだらが許せない質《たち》の母親はそのたびに激怒し、トラを目の前にきちんとお座りさせて、
「どこをほっつき歩いていたの! みんなが心配したのよ。そんな子は許しませんよ」
とお説教した。ちゃんと帰ると思って、私たちが御飯を作ってあげているのだから、その苦労を考えろ。それに夜遅くまで、ほっつき歩いていると、猫さらいにさらわれて三味線にされちゃうんだからと、トラががっくりするようなことばを並べたてた。それにトラはじっとうつむいて耐えていたのだ。
「何かいいたいことがあったら、いってみなさい!」
トラは上目遣いにして小さなかすれ声で、
「ミャー」
と鳴いた。
「まあまあ、トラにはトラの理由があるんだから」
と、私と弟がとりなして、一件落着するのだが自分でそういったのにもかかわらず、猫がいなくなる理由は、私には当然わからなかったわけである。
それから七、八年たって、トラも歳をとって、寝てばかりいるようになった。それなのにまた姿を消した。母親はそのときは怒らず、
「猫は飼い主に自分の死ぬ姿を見せないから、きっと死ぬ場所を捜しにいったのよ」
といった。二日後にトラは夜中に帰ってきたが、きちんとお座りしたまま、じーっとしていた。私たちが水を飲ませてやりながら、
「トラちゃん、元気でね」
などというのを聞いていたが、十分程してすっと立ち上がるとどこかに行ってしまった。それ以来、家には戻ってくることはなかったのだった。
友だちの飼い猫のなかにも、まだ寿命ではないはずなのに行方不明になったまま、いつまでたっても帰ってこないのがたくさんいる。知り合いの男性は、三日間帰ってこない猫を、
「長介、長介」
と名を呼びながら町内を捜しまわった。それを見て最初は、
「長介だって。変なの」
と笑って見ていた小学生も、しまいには、
「僕たちも捜してあげる」
といって、一緒に公園や野原に行って「長介」と連呼してくれた。しかし長介は八年たった今でも戻っていないのだ。
「いったい猫はどこに行くんでしょうね」
と、ある女性にこの話をしたことがある。すると彼女は、子供の頃にお婆さんから、
「忽然と姿を消した猫は、みんな木曾の御岳に登って修行をしている」
という話を聞いたといった。日常の行い、立居振舞いに関して「自分は未熟だ」と反省した猫は、悟りをひらくまで御岳を下りないのだそうである。
「だからあなたの家の猫も、お友だちの猫も死んだのじゃないわよ」
と慰めてくれたのだが、きっと昔の人はかわいがっていた猫がいなくなったとき、そういういい伝えを信じて、ショックに耐えていたのだろうと思う。
うちのトラは未だに家に帰って来ないから、まだまだ修行に励んでいるようだが、例のうずまき猫は修行を終えて、二か月後、帰ってきた。そのとき捜索願いが貼られたところと同じ場所に、
「うちのチビがもどりました。ありがとうございました」
という張り紙が貼られ、町内の人々はまたしばらくの間、「うずまき猫無事帰宅」の話題に花を咲かせたのである。
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