私の知り合いに、子供のころに自分の母親がろくろっ首だと信じていた若い女性がいる。小学校にあがる前、彼女は家族と一緒にお祭りにいったところ、見世物小屋があり、登場する生き物が毒々しい色合いの看板の絵で紹介してあった。そのなかにうりざね顔で、色が白く、着物を着てちんまりと座った女の人がいた。おまけに女の人の首はくるりと輪をかいて宙に伸びているのであった。それは彼女の母親にそっくりで、絵の横にはへたくそな字で、
「アイちゃんやー」「あい、あい」
と書いてある。
「あの人だれ?」
「あれはろくろっ首。ふだんはふつうの女の人なんだけど、急に首がわーっと伸びて人を驚かすの」
と母親は教えてくれた。小さい彼女の頭のなかは、狼女や熊男よりもろくろっ首のことでいっぱいになった。そして、
「うちのお母さんも、きっと私の目の届かないところで、あのように首を伸ばしているのに違いない」
と信じてしまったのである。
それから彼女は、添い寝をしてくれている母親の顔を見ては、
「この色の白さ、顔のかたち。やっぱりアイちゃんとおんなじだ……」
と確信した。彼女は母親がいつアイちゃんみたいに首を伸ばすか、息をひそめて待っていた。自分の家にろくろっ首がいるなんてすごいことだった。早く首が伸びるのが見たくて、そーっと首筋をさすってみたりした。しかし何回一緒に寝ても首が伸びる気配はなく、そのたびに彼女は落胆したというのであった。
彼女はこの話を今までずっと誰にもしゃべらなかった。だから彼女の母親も自分の娘にろくろっ首と疑われたことなど、全く知らないのである。
「こんな私って、変ですよね」
と彼女は恥ずかしそうにいった。しかし私は自信をもって、
「それは変ではない」
といいきった。実は私にも同じような過去があったからである。
私が小学生のときには、楳図かずおの恐怖漫画が全盛だった。もちろん私も毎週、漫画雑誌を買って、背中をぞくぞくさせながら、その恐怖の世界にのめりこんでいった。そしてそのあげく、
「母親はヘビ女ではないか」
という疑問を持ってしまったのであった。私はヘビは平気だが、ヘビ女は怖かった。母親がヘビ女だという証拠はいろいろあった。まず漫画に出てくるヘビ女である母親と、うちの母親とヘアスタイルが酷似していた。長い髪をまとめたいわゆる「おだんご」というやつである。カーディガンにタイトスカートという服装もよく似ていた。ふだんは優しい母親のふりをしているヘビ女は、本性を現したときに、
「シャーッ」
という音を発する。そのときの形相は目を吊り上げ、口を大きく開けて牙をむく。よだれをだらだら流し、この世のものとは思えない不気味さだった。それは目が二重で口の大きいうちの母親が、激怒した顔とそっくりなのだ。ヘビ女はみんなが寝静まったあと、ずるずると音をたててそこいらへんを這い回り、鳥やけものを生でバリバリと食べる。子供の私にとってはそれは地獄絵図であった。
私は恐怖に怯《おび》えながらも、表面上は無邪気な娘を装っていた。そして一方では母親の行動を逐一《ちくいち》観察していたのである。漫画のなかではヘビ女の娘である少女が、母親がよだれを垂らしながら生卵を丸のみするのを盗み見てしまう。
「ああっ、おかあさまが……」
といって失神しそうになるのである。うちの場合、朝食によく生卵が登場した。醤油をたらして熱い御飯の上にかけて、母親がおいしそうに食べるのを見るたびに、胸がどきどきした。
「卵が新鮮だと生がいちばんおいしいわね」
などということばを聞くと、頭がくらくらした。たまに鳥の皮を甘辛く醤油で炒《い》りつけたおかずが食卓にのぼることもあった。肉ではなくて皮なのが妙にリアルだった。
「きっと夜中に近所の農家にいって、取ってきた鶏の肉は生でバリバリと食べ、それをごまかすために皮だけをこうやって私たちに食べさせているんだ」
私は頭のなかにそのシーンを描き、
「ひえーっ」
とふるえた。
漫画のなかの少女は、
「まさか、おかあさまが……」
と半信半疑だったのだが、母親の寝床のシーツの上に残されたうろこを見て、間違いなくヘビ女だということを知る。それで彼女は奈落の底に突き落とされるのである。
私は翌朝、母親が台所で朝食の支度をしているのを確認してから、掛布団を半分はぐったままにしてある彼女の寝床に潜り込んだ。どこかにうろこが落ちていないかと、はいつくばって必死に捜したが、うろこは落ちていない。ふと気がつくと母親は不思議な顔をして枕元に立っていた。
「何しているの、いったい」
私は黙っていた。何も知らない彼女は、
「大きくなったのに、まだ私の匂いが恋しいのかしら。困ったもんだわねえ」
と自分勝手な解釈をしてうれしそうに笑い、台所に行ってしまった。私はうろこが落ちていなくて、うれしい反面がっかりした。恐怖を覚えながらも、実は母親がヘビ女であることを望んでいたのだ。みんなが知っているヘビ女が家にいるとなったら、恐怖は伴うが自慢ができる。そうなったら私は母親と娘という縁を一方的に切り、ヘビ女とそれを発見した一少女の関係にするつもりであった。もしも偶然、前の日の夜に調理した魚のうろこが布団の上に落ちていたとしたら、私の性格からいって、ショックは受けながらも、この特ダネを学校の友だちに話したに違いない。そして、
「うちには漫画と同じヘビ女がいるんだぞ」
といって友だちから金を取って、垣根から母親を覗《のぞ》かせて見世物にしたに違いないのである。