動物は人間を見ると、
「この人は動物が好きか嫌いか」
を瞬間的に察知する能力があるらしい。動物が嫌いな友だちが、動物が好きな人と一緒にいると、彼らはそちらのほうばかりに愛想をふりまく。彼女は犬や猫が怖いので、
「こっちに来ないといいなあ」
といつも思っているというのだ。彼女は私みたいに、ゴロゴロと喉《のど》を鳴らしている猫を仰向けにして、
「お腹ぐりぐりだよーん」
といいながら、腹部をさすってやることなんか、死んだってできないと呆れる。動物に嫌がられる人って、気の毒だなと思う反面、たまにそういう人たちがうらやましくなるときがあるのだ。
一か月ほど前、駅前に買い物に行こうと裏道を歩いていたら、どこからか猫の鳴き声がしてくる。声の感じからして誰かに甘えているというよりも、何となく切羽つまった雰囲気なのである。どうしたのかしらとあたりを見渡していたら、袋小路の奥のほうから大声で鳴きながら、一匹の猫がすっとんできた。そして私の顔を見上げて一所懸命体をくねくねさせ、さっきまで聞こえていたのとは違う、甘ったれた声を出して鳴く。その猫はメスで、母親から離れても何とか生活できるくらいに成長していた。妙に人なつっこいところをみると、ある程度まで大きくなってから捨てられたようだった。
「あんた、捨てられちゃったの」
そう尋ねても猫が、
「はい、そうなんです」
というわけはないのだが、私のたくましい足にべたっとすがりついて、離れようとしない。その「すがり猫」はやせていて、生まれながらに薄幸そうな体つきをしている。そのうえ彼女には何の責任もないのだが、かわいそうなことに、一目見たとたん、
「ありゃー」
といいたくなる、すさまじい毛並みをしていた。もしかしたらこのせいで捨てられたのではないか、と思われるくらいのアヴァンギャルドな柄なのである。胴体はもとより顔面までが、茶、白、黒の一辺が三センチくらいの四角形で埋めつくされている。よくよく見ないとどこに顔があるかもわからない、迷彩効果のある柄なのだ。
あっけにとられている私のことなど、おかまいなく、「すがり猫」はゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を私の足にこすりつけてくる。
「うちのアパートは猫が飼えないの。だからいくらそうやってもだめ」
そういっても、仁王立ちになった私の両足の周りや間を、体をこすりつけながら横8の字状に歩き回り、一歩も歩かせてくれないのだ。
「これから買い物に行くんだから、これでさよならね」
全然いうことを聞かない。ますます大声で鳴きながら、顔を見上げる。困り果てたときにふと頭に浮かんできたのは、母親の教えであった。
実家にいたとき、十三匹の猫の総帥として君臨していた彼女は、幾度となく起こった猫に関するトラブルを、すべてスムーズに解決してきた。彼女の解決法はいつも、
「心から話せばわかる」
であった。猫だってバカじゃないから、きちんと説明すればちゃんと理解するというわけである。私はもう一度、ニャーニャー鳴きながら足元でゴロゴロやっている「すがり猫」に、
「うちでは飼えないの。だからさよならね」
と心からいってみた。しかし状況は全く変わらない。もう一度、
「いくらやっても本当にだめなんだから。ごめんね。さよなら」
とひとつひとつことばを区切っていってみた。ところが「すがり猫」は納得するどころか、もっと大きな声で鳴くようになった。これからの自分の人生がかかっているので、聞く耳なんかないらしいのだ。なだめすかしてその場を去ろうとしても「すがり猫」は許してくれず、しまいには両前足を使って私の足にタックルする始末であった。
「そんなことしてもだめ」
心を鬼にして私は足を動かそうとした。ところが驚いたことに「すがり猫」はものすごい力でしがみついていて、ずりずりと引き摺られながらも、絶対に前足を離そうとしないのだ。
「わかった。ちょっと離しなさい」
そういうと猫は素直に前足を離した。
自分に都合のいいことだけいうことを聞く。
「もう、絶対にだめ。だからバイバイ」
きっぱり宣言して、早足で立ち去ろうと思ったのに、五、六歩、歩いたとたんにすかさず追っかけてきて前に立ちはだかり、また足にすがって鳴くのであった。呆然と立ちつくす私の横を、ふたりのおばさんが通りかかった。そして私と猫を見て、
「まあ、あんなになついてる。かわいいわねえ」
と無邪気な会話をしていた。もう私はトホホであった。動物が嫌いな人だったらこんな思いをしないのに、なまじ好きだからこのような心が痛む出来事が起こる。私は両手で猫の顔をはさんで、
「いうことをきいてね。ごめんね」
といって後を見ずに歩き出した。横目で見たら、私の顔を見上げて鳴きながらくっついてきていた。しかしとうとう「すがり猫」もあきらめたのか、角を曲がったらついてこなくなった。しばらく歩いてそーっと振り返ったら、ちょっと首をかしげながらこちらを見ていたものの、とぼとぼと今来た道を帰っていってしまった。
その翌日から三日間、大雨が降り続き、私にとってはまるで針のむしろのような日々であった。しばらくは「すがり猫」と出会った裏道を通ることができず、駅に行くにも遠回りをしていた。
寒くなってスーパーマーケットの安売りコーナーで、茶と黒と白のつぎはぎ状になっている、安っぽいムートンの小さな敷物を見かけるようになったが、それを見るたびに私は「すがり猫」を思いだし、未だに複雑な気持ちになってしまうのである。