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ネコの住所録13

时间: 2020-02-08    进入日语论坛
核心提示:淋しい熱帯魚ふつうの父親というものは、自分は古びた服を着ていても、子供のために何かしてやりたいと思うものである。まず我が
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淋しい熱帯魚

ふつうの父親というものは、自分は古びた服を着ていても、子供のために何かしてやりたいと思うものである。まず我が子第一に考えるものである。ところが私の父親は、世の中の父親像とは正反対の人だった。自分のためなら金を湯水のように遣うけれど、家族であっても自分以外の人間のために金を出すのは大嫌いな人であった。家計を母親にまかすと思い通りにならないので、財布のヒモは彼が握っていた。今から思えば私はそのおかげで、男性におねだりする見苦しい悪癖が身につかなくてよかったのだが、子供時代の私にとっては、何となくふに落ちない毎日だったのである。
母親にくっついて駅前の商店街にいくと、おもちゃ屋さんのウインドーには、前を通るたびに新しいおもちゃが並んでいた。見て見ぬふりをしながらも、
「あっ、これはこの間までなかったやつだ」
とチェックを怠っていなかった。とにかく父親はそういう人だったので、私はおもちゃを見るたびに、
(これは買ってもらえないな)
とあきらめていた。しかしそう思いながらも、二年に一回くらい、どうしても欲しくてあきらめきれないものがある。こういうときがいちばんつらいのであった。父親に、
「お人形が欲しい」
と訴えると、まず、
「それはどんなものか」
という答えが返ってくる。これこれこういうものだと説明すると、
「もしかして、それに似たようなものを持っていなかったか」
とするどい突っ込みをしてくるのであった。当時のおもちゃというのは、画期的な新製品が出てくるわけではなく、前からあったものに少しずつ手直しをして、子供受けするように変えて売られていた。人形は髪の毛を垂らしているときは平気だが、耳の横でふたつにわける|大国主命《おおくにぬしのみこと》みたいな髪形にすると、後頭部にハゲができた。経費節約のために頭部全体に植毛されていなかったからである。私は人形のメリーちゃんの髪をくしけずりながら、
「頭全体に毛が生えていたら、どんなにいいかしら」
と思っていた。まばたきもせず、青い目はぱっちりと見開いたままだった。ところが二年ほどすると、顔立ちは全く同じだが頭部全体に植毛されてどんなヘアスタイルでもOK。おまけにまばたきまでする人形が売り出されたのである。
「前に買ったのを持ってきなさい」
父親にいわれたので、私はおもちゃ箱のなかからメリーちゃんを持ってきてみせると、厳しい顔で点検しながら、
「どこも何ともなっていないじゃないか」
とまたまたするどい突っ込みをした。それをいわれるとこちらは反論できない。黙っていると、
「そんなに何でもかんでも買ってやるわけにはいかない。本とレコードはいくらでも買ってあげてるじゃないか」
と叱られた。そして、最後にはどうしても欲しかったら、お小遣いをためて買えといい放った。それから私は父親には全くおねだりをせず、こつこつと毎月のお小遣いをためて欲しい物を買う、つつましい貯金少女になってしまったのである。
欲しい物を買ってもらえなくても、父親自身が古いものを大切に使っているというのなら私も納得する。しかし彼は家族には、
「今、あるものを大事に使え」
と説教するくせに、自分はパッパカ、パッパカ、洋服やカメラを買い替えていた。そのうえ新しいものにすぐとびつくくせにすぐに飽きて、ただでさえ狭い家のなかはまるで物置のようだった。
ある日、父親はにこにこしながらいくつかの荷物と共に帰ってきた。駅前のペットショップのおじさんが一緒だった。あっけにとられている母親と私を無視して、ふたりは狭い部屋に大きな水槽を三つと、いろいろな器具を設置し始めた。そして最後には水槽にエンゼル・フィッシュとグッピーを泳がせて、おじさんは帰っていったのである。
「ほーら、きれいだろう」
父親は自慢した。私たちはむっとしていた。それまで彼は近所の公園の池から、ザリガニとクチボソを獲《と》ってくるのが楽しみだったはずなのだ。
「クチボソはどうするんですか」
母親は庭の隅に置いてある、火鉢を利用したクチボソ用の水槽を指さした。
「クチボソはちっともきれいじゃないからつまらないんだ」
そういって彼は水槽に顔を寄せて、エンゼル・フィッシュが動くのを眺めていた。
「これからもっともっときれいな熱帯魚を買ってくるからな」
彼はいばったが、私はこんな魚よりもハゲがないメリーちゃんを買ってもらったほうがよっぽどうれしかったのだった。
それからも父親は熱帯魚にいれあげ、母親が、私と弟のパンツを買いたいといっても、ぶつぶつなんくせをつけてお金を出そうとはしなかった。家族の必要経費まで注ぎ込んだ結果、水槽のなかには、黄色や赤や図鑑のなかでしか見たことがない熱帯魚が次々にふえた。ひらひらときれいな尻尾を揺らして泳いでいる赤い魚を見ると、私はハゲがなくてまばたきするメリーちゃんが泳いでいるように見えた。きっと母親も口のとんがった黄色い魚を見ては、子供たちのパンツが泳いでいるように見えたに違いない。
「ほーら、これは沖縄の魚だよ」
などと父親は自慢したが、私たちはそっぽを向いていた。
このように我が子よりも熱帯魚を溺愛《できあい》していた父親だったが、ある日、とんでもないことが起こった。朝、起きてみたら水槽の熱帯魚がみんな煮魚になっていたのだ。彼は水槽にへばりついて点検していたが、温度調節を間違えたようだった。熱帯魚はとてもかわいそうだった。しかし私は父親がしょんぼりと肩を落として、くたっとした魚を網ですくいとっている姿を見ながら、
(いい気味だ)
とつぶやき、今までの胸のつかえがいっぺんに晴れるような気がしたのだった。
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