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ネコの住所録15

时间: 2020-02-08    进入日语论坛
核心提示:子 連 れ 猫うちで飼っていたメス猫に子供が生まれるたびに、私はとても裏切られた気分になった。子供が生まれる前とその後では
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子 連 れ 猫

うちで飼っていたメス猫に子供が生まれるたびに、私はとても裏切られた気分になった。子供が生まれる前とその後では、猫の態度がコロッと変わるからである。妊娠がわかったときの彼女の姿は、誠にしおらしい。お腹がややふくらんでくると、私たちの前にきちんとお座りして、
「こんな体になってしまいました」
と首うなだれていた。脳味噌が小さい猫ながら、
「自分が子供を生んだら、お世話になっているこの家の人々の扶養家族が増えてしまう。みんなの反感をかわないように、何とかうまく事を運びたいものだ」
と考えているかのようであった。
「困ったわねえ……」
母親はいつも一発目にドキッとすることばをいい放った。そういわれると猫の背中はますます丸くなり、上目づかいにこちらのほうを見て、とても情けない顔になった。
「あなた餌代はどうするつもり?」
母親はちくりちくりと猫をいびった。テレビの奥様番組で放送していた、
「迷いこんできた猫を飼うことにしたら、あくる日から毎日、散歩に行くたびに、五百円程度の小銭をくわえて帰ってくるようになった」
という餌代を自ら稼いでくる立派な猫の話を延々として、プレッシャーをかけたりした。自分の快楽の果てにこういう体になったために、猫も黙って話を聞いていた。結局は、
「しょうがない。ともかく元気な子供を生みなさい」
の言葉でしめくくられるのだが、最初から甘い顔を見せて、猫をつけあがらせるとよくないという母親の方針で、猫の妊娠報告の際にはいつもきついひとことが待っているのだった。
だんだんお腹が大きくなってくると、猫はふにゃふにゃいいながら、
「お腹をさすってくれ」
と催促した。こちらも邪険にできず、猫の望むことをしてやっていたのであった。
子供を生む前はこんなに私たちに甘えていたのに、いざ子供が生まれると猫は豹変《ひようへん》した。とりあえずは礼儀として、
「こんな子ができました」
と見せにくるのだが、触ろうとすると、ものすごく冷たい目をして私と子猫の間に立ちはだかった。気が立っているときは、ウーと小さく唸るときもあった。
「あんなに体を気遣ってやったのに。そういう態度はないだろう」
私たちはあまりの猫の仕打ちに抗議をしたが、彼女は子猫がある程度大きくなるまで、
「飼い主でさえも信用できない」
といいたげな目つきで過ごしていたのであった。
このように母猫は子供が生まれると、飼い主にさえよそよそしい態度をとるのに、この間、珍しい光景を目撃した。駅前のターミナル・ビルの裏出口に人だかりがしているので、隙間から覗いてみたら、子猫が三匹、仲良くじゃれあっている。そしてその隣では、薄汚れた風体の母猫がきちんとお座りをしているのであった。
「まあ、かわいいわねえ」
無邪気にもつれあって遊ぶ子猫を眺めている人々は、口々にそういって目尻を下げていた。しかしその隣で、ちんまりと座っている母猫の姿が視界にはいると、えもいわれぬ哀れを誘うのであった。
「ちょっと、何か買ってくるわ」
私の前でこの光景を見ていた年配の夫婦の奥さんは、御主人に耳打ちしてビルに戻っていった。詰め襟の中学生三人組は、
「これ、飲むかなあ」
といいながら、足元に転がっていたプラスチックの容器に、飲みかけの缶入りウーロン茶をいれてやっていた。
みんながわいわいやっているうちに、母子家庭の猫たちの前には、鯖《さば》の塩焼きや、歯形のついた食べかけのおかかのおにぎりや、ポテト・チップ、牛乳が並んだ。かわいい子猫と、生活の苦労をすべて背負っているような母猫の姿は、山のように商品があるビルの食品売り場で買い物をしてきた人間には、ひどく訴えるものがあった。
子猫たちがニャアニャアいいながら人間たちがやった食べ物に食らいついているのを見ると、人々からは、
「お腹がすいていたんだねえ、かわいそうに」
と声があがった。子供に先に食べさせてあとから母猫が食べるのを見て、涙ぐんでいるおばさんもいた。ふつう母猫は人前に子猫を出さないものだけどなあと私は思いながら、その場を立ち去ったのであった。
そしてまた二、三日ほどして、ちょうど同じ時刻に同じ場所を通りかかった。するとこの前と同じように、あの母子家庭の子猫が愛想をふりまき、そのかわいい姿と健気《けなげ》な母猫に胸を打たれた人間たちが、自分が今買った物のなかから、彼らが食べられそうなものをおすそわけしていた。私はにたっと笑いながらその場を通りすぎた。そして夕方また同じ場所を通った。今度は母猫だけが立てかけられたベニヤ板の陰でごろんと横になって、ボリボリとお腹を掻いていた。昼間、ちんまりと座っていたのとは、大違いの態度であった。
「おい、子供はどうしたんだよ」
声をかけたら、彼女は鬱陶《うつとう》しそうにこちらをちらりと見て、ふん、とそっぽをむいた。尻尾を左右に動かして、まるで、
「うるさいから、あっちに行け」
とでもいっているかのようであった。
「薄汚れた自分ひとりが餌をねだっても、きっと誰もくれないだろう。しかしかわいい子供を一緒に連れていけば、人間は餌をくれるに違いない」
その目論見《もくろみ》にまんまと人間ははまってしまった。涙ぐんで猫たちのために買い物までしてやった。母猫はちんまりとお座りしながらも、心のなかでは、
「へっへっへ」
と舌をだしていたのだろう。
「何と見事な頭脳的作戦であろうか」
私は「母子もの」に弱い人間のスキをついた、ふてぶてしく、たくましい母猫の姿に深く感心した。そして、自分の赤ん坊のためなら、どんなに他人に迷惑をかけても知らん振りの人間の母親のことを思いだし、「母親は基本的に図々しく利己的なものだ」ということを、改めて知ったのである。
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