知り合いに至急送らなければならない物があったので、いつも宅配便をたのむ雑貨屋にいくと、珍しく店が閉まっていた。その店はばあさんひとりでやっている古くて小さな木造で、店内の品物も、もしかしたら三十年前からそのまんまじゃないかと疑いたくなる雰囲気なのである。
「とうとうばあさんも、具合が悪くなったのかしら」
と近寄ってみたら、段ボール箱のふたを再利用した紙に、
「閉まっていても留守番がいますので、ガラス戸を叩いてください」
と書いてあった。ばあさんが寝込んでいたら悪いと思いつつ、ガラス戸を叩いてみたが、奥からは誰も出てこない。もういちど叩いてみたら、白くて小さなものがこちらにやってきた。それは頭に赤いリボンをつけてもらった白いマルチーズだった。ガラス戸を叩いている私の姿を、しばらく首をかしげて見ていたが、くるっと方向転換して姿を消してしまった。
「いったい、どうしたんだろう」
と荷物を抱えたまま不安になっていたら、いつものばあさんがよろよろと出てきた。
「すいませんねえ。ちょっと昼寝してたもんでねえ」
ばあさんの口からあごにかけて、よだれが乾いた跡が見事にひと筋ついている。
「具合でも悪かったんですか」
「いーえ、違うの。きのう近所の人と夜遅くまで話しこんじゃって。今日になったら眠くてしょうがなくてね。どうせお客さんも来ないし、これに番をさせて昼寝してたのよ」
ばあさんは「これ」といいながら、さっきのマルチーズを指さした。
「あのー、留守番ってこの犬ですか」
「そうだよ」
ばあさんは事もなげにいった。
「こんな小さいのにね、手伝ってくれるの。こちらが話すことはわかるし、お客さんが来ると教えるし。なじみのお客さんには愛想をふりまくし、結構、商売にむいてるんだよ。第一、給料を払わなくていいのがいちばんいいねえ」
そういって彼女はカカカカッと笑った。
この犬、名をメリーちゃんというのだが、これまでも泥棒が侵入するのを未然にふせいだり、あんみつの缶詰を二個しか買う予定がなかったお客さんにすりすりとすり寄っていって、結局は四個買わせた実績もある。そしてそれでしらんぷりをしないのがメリーちゃんの偉いところで、それからそのお客さんがくると、ばあさんが相手をしていても奥から顔を出して、
「毎度、どうも」
といいたげに、尻尾を振るんだそうだ。私はもともとマルチーズなどの室内で飼う小さな犬は「毛虫」と呼んで、あまり好きではなかった。ただ飼い主のあとにくっついて、ぼーっと甘えるだけしか能がなく、
「何かをやろう」
という意欲に欠けているのではないかと思っていたからだ。ところが話を聞くと、メリーちゃんはそうではない。立派にばあさんを助けている。水をこぼしたときに、
「メリーちゃん、雑巾を持ってきて」
というと、台所から床雑巾をひきずってくる。夜、ちょっとでも変な物音がすると、ばあさんを起こす。電話が鳴ったり人がやってくると、ばあさんに教える。とにかく健気なのである。
「私の死に水もとってくれるんじゃないかって思ってんの」
ばあさんはまたカカカカッと笑った。私が帰るときも、メリーちゃんは一所懸命、尻尾を振って愛想をふりまいていた。ばあさんのいうとおり、客商売向きの犬だ。これだけのことをやるんだったら、メリーちゃんは死に水をとるだけではなく、喪主となって葬式までだしそうな気配すらあった。
この話を犬、猫について詳しい友だちにしたら、それはもっともだとうなずきながら、
「犬は何でもいいから仕事をまかせると、張り切るらしいよ。知らない人が来たら吠えろとかさ。だけど猫はダメなんだって。仕事をさせようとすると、嫌がって出ていっちゃうんだって」
というのだ。そういえばうちの猫は頭数はたくさんいたが、人間が助かるというほど役にはたたなかった。空き巣に入られたときも猫一族は恐怖を感じたらしくさっさと避難してしまい、丸二日間、帰ってこなかったくらいである。もしもこれが犬だったら、同じように恐怖を感じても、それなりに吠えて近所の人に知らせることができたに違いない。
「でも、犬にも変わったのがいるよ」
友だちの母上の友人宅のマルチーズも、知らない人が来たりすると、吠えて家人に知らせるのは当たり前。奥さんが庭にいて電話が鳴っているのに気がつかないと、庭に面しているガラス戸が開いているときは走って行って洋服をひっぱり、閉まっているときは吠えながら体当たりして教える賢い犬であった。ご主人がゴルフに行くときに、
「帽子」
と命令すると、ちゃんと帽子をくわえてくる。こういうことをするとますます家族に誉められる。家族も近所の人々に自慢する。これで玉のりや輪くぐりなど、芸のふたつかみっつを覚えれば、すぐテレビ局が取材にやってきて、ちょっとした犬の名士になれるはずであった。
ある日、この家に空き巣が入った。ところが近所の人で犬の吠えた声を聞いた人など誰もいなかった。奥さんが家に入ると、あたりにはタンスの中のものが散らばっていた。うちには犬がいるのに……と思いながら奥さんがふと風呂場の脱衣場を見たら、いつもは賢いはずの犬が、ぶるぶるふるえてモップの横にぴったりとへばりつき、白いモップと同化しようとしていたというのであった。
「人に誉められるのがうれしくて、今までは賢くふるまってたみたい。だけどその日は自分一匹しかいなかったから、ただ恐い一心でモップになりすまそうとしたらしいよ」
人間同様、動物の性格も本当にさまざまである。だから付き合って面白いのであるが。