「猫めくり」というカレンダーがある。飼い猫、のら猫を問わず、猫の写真を募集し、厳選された写真が日めくりになっている、なかなか楽しいものである。NHKの平野次郎氏が、飼い猫の写真を「猫めくり」に応募して採用されたときのことを、本当にうれしそうにエッセイに書いていたのを読んで、親近感を覚えたこともあった。日めくりの最後には、登場した猫たちの名前が掲載されているのだが、それを眺めていると、
「この名の由来はいったい何だろう」
と知りたくなるものが多々ある。
「ミー子」「ブチ」などはごくごく一般的である。凝った名前では洋風の場合、「セシジータ」「チェレスタ」「イーリス」「エクタクローム」。なんとなく高貴な顔をしているような気がする。和風の場合は「お茶丸」「亀之介」「夢吉」「とめ吉」。きりっとした短毛の和猫にふさわしい名前である。なかには飼い主の名字とは全く関係なく、「猫田うず子」「猫田もへじ」「笹原桃太郎」といった、飼い主とは違う猫専用の名字までつけてもらっているものもいる。飼い主は勝手に名前をつける。ふつうの名前ならまだしも、妙にひねった名前をつけられ、死ぬまでその名で呼ばれる動物たちは、いったいどういう気分だろうと思うこともある。
私が今までいちばんビックリした名前は、「ガス人間第一号」である。場所はどこだったか忘れたが、ブチの雑種の犬が繋がれていた犬小屋に、
「『ガス人間第一号』のおうち」
とマジックで黒々と書いてあった。きっとあのブチは長ったらしい名前を省略されて、
「ガス、ガス」
と呼ばれているのに違いない。
冬場、うちに迷いこんできた猫は、カゼをひいて鼻水を垂らしていた。そこで私は、
「『鼻水垂之進』にしよう」
と提案したのだが、家族の猛反対にあって却下され、「チビ」という無難な名前になってしまった。
「どうして鼻水垂之進じゃいけないの」
と反撃したのだが、母親の、
「あんただって、そんな名前つけられたら嫌でしょ」
というわけのわからない理論でまるめこまれてしまったのである。それから他の人は動物にどういう名前をつけているのか、気になるようになってしまったのだ。
ポチ、タマなど、名前を見ただけでどんな動物かがわかってしまう、古典的な名前もあるが、人間の名前をつけているのも割合に多い。テレビで見た動物園のツキノワグマはアケミちゃんといった。生まれた子供をかわいがる優しいお母さんであった。やんちゃな子象はナツコちゃんといった。彼女たちのしぐさをみていると、アケミもナツコも違和感がない。というよりも、人間の名前をつけることで、ますます身近に感じられるくらいだった。
母親の友だちにも、猫に「茂」「栄子」と名前をつけている人がいた。かれこれ二十年も前のことである。子供がいないために、この二匹は実の子供のように育てられ、
「茂ちゃん、栄子ちゃん、ごはんよ」
と声をかけると、奥からのんびりと猫が登場し、座卓の前に置かれた座布団の上に、きちんとお座りをする。初めてその姿を見た人は唖然《あぜん》とするのである。表札にも名前が書いてあるので、よく小学生用の図鑑を扱うセールスマンがやってきた。
「どうぞ、お宅のお子さんに」
と勧める相手に対して、彼女は、
「うちの子は学校にいってないんですよ」
といって猫を指さすと、相手は、
「はあ……」
と首をかしげながら、みんな後退りして帰っていったという。当時はまだ犬、猫に人間の名前をつけるというのは、それほど普及していなかったので、近所からもその夫婦は変わり者と思われていたそうである。
私の友だちの家の猫は「タンちゃん」というシンプルでかわいい名前なのだが、この名前は深い意味がある。タンちゃんはそば屋さんの前に捨てられていたのを、帰宅途中のお父さんに発見され、家に連れてこられた。
「これはお父さんが拾ってきた猫だから、自分で名前をつける」
お父さんがそういってきかないので、友だちもお母さんもそれに従った。スリムなきれいなメスだったので、お父さんは「ジュリエット」と命名した。お母さんに、
「あーら、意外にロマンチストなのね」
などといわれて照れながらも、お父さんはジュリエットをかわいがっていたのである。
ところがひと月ほどたったある日、友だちが何気なくジュリエットの後ろ姿を見ていたら、股間にくっついているものがある。不思議に思ってもう一度、よーく確認した結果、ジュリエットは実はオスだったということが判明したのであった。
「いったい、どうするの」
友だちは、お父さんを問い詰めた。すると彼は、
「お前がどっちかわからないようものを、持っているからいかん」
とジュリエットに文句をいい始めた。そしてしばらくぶつぶついっていたかと思ったら、突然、きっぱりといい切った。
「よし。おまえは短小だから『タンちゃん』」
「………」
この命名に関して、友だちはあっけにとられて全く口を挟めなかった。その場にいなかったお母さんに、
「どうしてタンちゃんなの」
と無邪気にたずねられても、友だちは、
「さあ。かわいい名前だから、別にいいじゃない」
とごまかすしかなかった。ここで真実をうちあけたら、またひと悶着《もんちやく》起こるのは、目に見えていたからである。それからその猫は、名前の由来を知る人にも知らない人にも、「タンちゃん」と呼ばれてかわいがられている。しかし名前の由来を知っている私は、友だちの家にいくと、確認のため、ついつい「タンちゃん」の股間に目がいってしまう自分を、押さえることができないのである。