今年は本当に台風の当たり年だった。ふだん旅行しない私が、意を決して遅い夏休みをとったのに、ふだんの行いが災いしたのか、台風と一緒のうれしくない旅行だった。二十五年ぶりに友だちの住む瀬戸内海の島に行ったのに、フェリーが欠航になりそうだという連絡がはいった。そこであわてて予定を繰り上げて広島に戻り、最終日はホテルの部屋に、丸一日、缶詰めになってしまったのである。地方で台風にでくわすと、
「台風って結構すごいんだなあ」
と思う。帰りの新幹線の中からは、屋根以外が泥水につかってしまった二階建の家や、まるで引き裂かれたようになっている木を見た。山々の木は真横になぎ倒されていたし、
「あら、大変」
とのんびりかまえていられないくらい、すさまじい状況だった。しかし東京にいると、あまりそういう実感はない。寝ている間に過ぎ去ってくれれば、今はそれほど実害がないからである。
子供のころは、台風が来るとなると、ラジオや懐中電灯、ろうそくを準備し、雨戸を閉めてじっとしていた。私は台風が来るといつも、うちのぼろっちい借家は、あっという間にふっとんでいくのではないかと、心配でならなかった。あまりに心配なので、うちで飼っていた、手のり文鳥のピーコちゃんのそばにいって、
「心配しなくて大丈夫だよ」
などといったりした。そういうとちょっと私の気が楽になりそうだったからだ。ところがピーコちゃんは、別になにも心配していないみたいで、止まり木にとまって目をしょぼしょぼさせながら、こっくりこっくりと船をこいでいた。庭で犬を飼っている子は台風が来ると、ポチやジョンを玄関に入れた。なかには座敷に新聞紙を敷いて、犬を座らせている子もいた。犬はうれしさいっぱいで尻尾を振りながらも、目はきょときょとと、落ち着きがなかったものだった。
ものすごい風と雨は続き、
「いつかうちの屋根は、飛んでしまうんじゃないか」
と布団の中にはいっても、しばらくドキドキしていた。ピューピューという風の音や、ふだん聞いたことがない雨の音が聞こえるたびに、布団のなかにもぐり込んだ。ところがいつの間にか眠ってしまい、ふと目がさめると次の日の朝になっていて、青い空が広がっていた。学校へ行く途中の道には、ドブからあふれた、わけのわからないヘドロみたいなものが、すさまじい臭いを発していて、
「くさい、くさい」
と騒ぎながら、鼻をつまんで走って通った。同級生の家のトタン屋根が見事にふっとび、お父さんが腕組みをしながら、見上げていることもあった。物置が倒壊したり、池があふれて、鯉や金魚がどこかに流れていってしまった家もあった。そんな光景を目にしながら、うちのボロ家が健在だったのは、奇跡ではないかと私はよく思ったものだった。
登校するとクラスに何人か、台風難民がいた。土地の低い所に住んでいたので、床上浸水の被害に遭い、教科書、文房具がすべて水浸しになってしまったのだ。小学生として大切なものを、すべて失ったのである。彼らはからっぽのランドセルだけを背負って、うつろな目をしてやってきた。雨や風の音を聞いているだけでも、とても不安になったのに、自分の家に水がどんどん入ってきたら、やっぱりうつろな顔になってしまうだろうと思った。そういう子たちは、新しく教科書が届くまで、隣の子に見せてもらっていた。
「洋服も全部だめになっちゃった」
というので、みんなで持ち寄ってあげたこともあった。かわいそうだと思う反面、自分はこうならなくてよかったと、内心ホッとしていた。台風は東京の子供にとっても、当時は怖いものだったのである。
私が旅行先で台風に遭遇した一週間後、また台風がやってきた。外出していた私は帰り道、うちの近所ですさまじい雨に降られた。まるで水のカーテンのようだった。下半身が水浸しになってしまった私が、早足で帰ろうとしていると、道路の端に小さなものがぽつんといる。何だろうと思ってそばに行ってみると、それはスズメであった。ところがそのスズメは私が近寄っても逃げようとしない。どうしたのかとしゃがんでみたら、かわいそうにそのスズメは、立ったまま死んでいたのである。あまりにすごい雨だったため、見ているだけでショック死してしまったのか、それとも雨粒のあたりどころが悪かったのか、さだかではないが、スズメは天を仰いでカチカチに固まっていた。
「あーあ、運が悪いなあ」
あんなにたくましいスズメが、大雨で死んでしまうのは、かわいそうなことであった。
「もしかしたら死んだように見えたけど、仮死状態だったかもしれないし、そうだったらあとで気がつく可能性もある」
と思いながら歩いていたら、今度は私の前の目を十五センチほどの黒い固まりが、いくつも通り過ぎていった。
「なんだ、こりゃ」
と近寄ってみたら、何とそれはヒキガエルであった。雨に打たれるのもものともせずに、十匹ほどが道路を渡っていく。ピョンピョンと跳ねるというほどの元気なものではなく、ずるずると地べたをずっていく、といったほうがいいような姿であった。
彼らは雨が降ってあわてている、というよりも、雨が降ったので、うれしくて出てきてしまったという感じである。しかしふつうの道路を、何匹ものヒキガエルが渡っていく光景は、なかなかすごい。ホラー映画の一場面みたいでもあった。こんな静かな住宅地のどこに、これだけのヒキガエルが隠れていたのだろうと、首をかしげるほどだった。しかし近所には大きな池などないし、道路を渡っても家が立ち並んでいるだけである。雨を体に浴びがてら、家の庭から庭に移動するヒキガエルの心理は、いまひとつ私には理解できなかったのである。
深夜に台風は吹き荒れ、翌日は晴天になった。その日も外出する予定だったので、昨日と同じ道を駅にむかって歩いていった。すると道路には、おびただしい数のヒキガエルの轢死体が転がっていた。カラスが喜んでそれを突っつき、女学生や子供たちをパニックに陥《おとしい》れていた。東京の人間にはそれほど影響がない台風であるが、都会の動物たちにはまだまだつらい試練の場なのだなあ、とつくづく感じたのであった。