人と会うと、どういうわけだか虫のすく奴と、すかない奴がでてくる。これは人間に特有のものだと思っていた。ところが動物を飼ってみると、彼らにも虫のすく奴と、すかない奴がいるようなので、驚いたことがある。うちのメス猫のトラにもちゃんと好みがあった。さかりの時期に家の外で、
「おわあ、おわあ」
とオス猫の呼ぶ声がする。すると、
「にゃあ」
と短くぶっきらぼうに返事だけして、知らんぷりしているときと、
「にゃーん」
ととってもかわいい返事をして、ぱっと外に出ていくときがあった。私と母親と弟は、トラの返事の違いがいったい何なのか、カーテンの陰からそっとのぞいていた。
そっけなくされたのは、体がものすごく大きく、顔が不細工で声が悪い、うちで勝手に「ぶよ」と命名していた猫だった。ころころとしているのならまだかわいいが、ぶよぶよに太っている。それでも性格がよければいいのに、人間にいじめられ続けたのか、ひねくれていた。母親が更生させようと、
「ぶよちゃん、こっちにいらっしゃい」
と何度声をかけても、さーっと逃げていってしまう。お腹がいっぱいなのかと思っていると、私たちの目を盗んで、テーブルの上の焼き魚をくわえていくのだった。
それを見ていたのか、さだかではないが、トラは「ぶよ」をとても嫌っていた。さかりがついた猫でも、手当たりしだい誰でもいいというわけではなく、トラは「ぶよ」がいくら、
「おわあ、おわあ」
と甘ったるい声で呼んでも、
「ふん」
とそっぽをむいていた。一方、
「にゃーん」
とかわいい声でお返事していた相手は、近所でも有名な美男猫だったのである。
その猫はオスながら、スタイルの良さからうちでは「コマネチ」と命名していた。すらっとしている白と黒のブチである。顔立ちもキリリとひきしまり、どことなく高貴な雰囲気を漂わせていた。粗野が売り物の「ぶよ」と、お坊ちゃん風の「コマネチ」は、明らかに正反対のタイプだった。そしてトラはお坊ちゃん風の「コマネチ」を選んだのである。
トラにすげなくされても、「ぶよ」は熱っぽく、
「おわあ、おわあ」
と呼び続けていた。あまりにしつこいので、トラが嫌がって、私の後ろに隠れてしまうこともよくあった。
「トラちゃんは、あなたのことが嫌いだっていってるよ。だからあきらめてちょうだい」
「はい、さよならね」
母親と弟は、ただでさえぶすっとした顔の「ぶよ」にいい含めていた。トラは、
「あとはよろしくお願いします」
というような態度で、私の背後で小さくなっていた。説得にもかかわらず、相変わらず「ぶよ」はつきまとっていた。
「いったい、どうなるのかしら」
私たちは興味津々で、猫の三角関係の成り行きを見守っていた。しかしトラが「コマネチ」の子供を生んだ直後、「ぶよ」がその子を襲撃して殺してしまい、それ以来、「ぶよ」は姿を消してしまったのである。
私の友だちはロスアンゼルスの郊外に住んでいるとき、白い「チャリ」という名の、去勢した猫を飼い始めた。地元の新聞で「子猫あげます」の広告を見て、自転車で貰い受けにいったので、「チャリ」と命名したのである。まわりが緑に囲まれている場所だったので、「チャリ」は日中は外にでていた。ところが昼間はのどかでも、夜になるとコヨーテが出てきて、よく猫が襲われることがあったので、彼女は夕方になると大声で「チャリ」を呼び、コヨーテの餌食にならないように気をつけていたのである。
ある日、いつもと同じように、「チャリ」を呼ぶと、のこのこと草の陰から出てきた。すると、後ろから赤い首輪をつけた、一匹のキジトラの猫がついてきた。このまま放っておくわけにはいかないので、彼女は一緒にその猫も家に連れて帰り、翌朝、
「夜はコヨーテが出るので、外に出さないほうがいいです」
と手紙を書いて、キジトラの赤い首輪にくくりつけ、家に帰してやった。
翌日の朝、玄関のドアを開けると、そこには昨日のキジトラが座っていた。その姿を見ると「チャリ」は走り寄ってきて、顔をこすりつけ、
「グルルン」
と声を出した。するとその猫もうれしそうに、グルグルといい返している。キジトラの首輪には手紙がつけてあった。それは飼い主からのもので、昨日の手紙の御礼と、猫が去勢済みで「エフィ」という名前であることが書かれていた。「エフィ」は毎日、「チャリ」のところにやってきた。それから二匹は連れ立って、外に遊びにいく。そして夕方になると二匹が仲良く帰ってくるのが習慣になったのだった。
ところが半年ほどたって、彼女は日本に帰らなければならなくなった。「エフィ」の飼い主には、赤い首輪にくくりつけた手紙の伝言で、
「チャリと一緒に日本に帰ることになったので、もうエフィとは遊べなくなりました」
と連絡し、彼女が引っ越したあとに家を借りてくれる友だちにも、赤い首輪をしたキジトラの猫がきたら、よろしくいっておいてといい残して、日本に帰ってきたのである。
その後、ロスアンゼルスの友だちからの電話で、エフィが毎日、玄関の前に座って、「チャリ」を待っていたことを知らされた。
「チャリは日本に帰ったよ」
といっても、毎日、毎日やってくる。結局一か月間通いつめて、「チャリ」が家のなかから出てくるのを、じっと待っていたというのであった。「逢うは別れの始め」というけれど、猫の世界にも、それなりに哀しい別れがあるのである。