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ネコの住所録26

时间: 2020-02-08    进入日语论坛
核心提示:魔法をかける猫猫好きの人と話をすると、必ずといっていいほど、「以前は猫なんか嫌いだった」という。私もどちらかというと、嫌
(单词翻译:双击或拖选)
魔法をかける猫

猫好きの人と話をすると、必ずといっていいほど、
「以前は猫なんか嫌いだった」
という。私もどちらかというと、嫌いなほうだった。子供のころに小鳥を飼っていたので、縁側の鳥カゴを狙ってやってくる猫は、憎き敵だった。足音もたてず、突然に襲いかかって小さな鳥をくわえて逃げていく。猫の姿が庭の隅にあると、追い払ったことが何度もあった。猫はずる賢くて、どうしようもない動物だと思っていたのである。
ところが猫のほうは、もともと私たちが動物が好きだというのを見抜いていたのか、夕食時になると、勝手口にきちんとお座りして、餌をもらいにくるようになった。母親が怒って、
「このあいだ、チビをとっていったのは、あんたじゃないの。あんなことをする子には、御飯なんかあげない!」
と文句をいった。
「そうだ、そうだ」
みんなで知らんぷりをして御飯を食べていても、猫はじっとそのままの姿勢を崩さずに待っている。横目で様子をうかがうと、何となく、
「どうも、すいませんでした」
とあやまっているようにも見える。たらーっとした態度だったらば、
「意地でも御飯なんかやりたくない」
と思うのだが、まるで置き物のようにいつまでもきちんと座っていると、どうも具合が悪い。せっかく相手が反省しているのに、こちらが意地悪をしているような気になってくるのだ。
私たちは御飯を食べながら、頭のなかで勝手口に座っている猫の心理状態を、あれこれ探っていた。
「うちに来たら、怒られるのは決まっているのに、それなのにやってきた。よっぽどお腹がすいているのに違いない。チビが取られたのは悔しいが、この猫がひもじい思いをしているのも……」
ちらりと猫のほうを見ると、きちんと座ったままだった。
(かわいそうだなあ)
そう思ったら最後、私たちは自分のおかずを少しずつ供出して、猫にやらざるをえなくなった。そして結局は、
「これから御飯をあげるから、鳥はとっちゃだめ」
という約束が、双方でなされたのである。
御飯を猫がおいしそうに食べてくれると、どういうわけだか憎しみは、だんだん消えていった。
「自分がやったものを食べた」
というのは、とてもうれしいものなのだ。
「もしかしたら、猫っていい奴なのかもしれない」
このようにして、私は猫好きへと変わっていったのだった。
先日、友だちと、犬と猫とどっちがえらいかという話になった。ふたりとも猫のほうが好きだから、犬には気の毒だが、やはり猫のほうが立派という結論に達した。犬嫌いだった人が急に犬好きになったという話はあまり聞かない。しかし、猫嫌いが猫好きになったという話は山ほどある。猫は犬のように尻尾を振らないし、愛想がよくない。目つきはきついし、爪でひっかくし、鳴き声も不気味と猫嫌いの人はいう。
「何を考えているのか、わからない」
というのだ。
私も猫を飼う前は、同じことを考えていた。しかし飼ってみると、猫は想像以上にかわいらしい動物だった。飼い主には爪をたてることはないし、精一杯、愛想をふりまく。気ままだから、こちらが遊んでほしくても、「ふん」と無視されることもある。正直いって、「くそっ」と腹が立つことはあるけれど、それはそれで許せてしまうのだ。
猫を見慣れていると、犬は何だかとてもかわいそうになってくることがある。一所懸命に尻尾を振っているのを見ると、
「どうしてあんなに、人間にへいこらしなきゃならないんだろう」
と気の毒になる。たしかに泥棒が来ると吠えて追い払ったりする能力はあるが、頭の造りが「単純」という感は否めないのだ。
「それは違います」
ある人が「猫のほうがえらい説」に反論してきた。うちの犬は人間にへいこらしないというのである。その犬は二代目で、先代は犬の鑑《かがみ》というべき、立派な性格だったという。朝、出勤しようとすると、どんなに暑くても寒くても、雨の日も風の日も、さささっと小屋から走り出てきて、
「どうぞ、お気をつけて」
といいたげに、きちんとお座りをする。そして飼い主の姿が見えなくなるまで、じっと見送っていたという。まるで明治男のような犬だったのである。ところが二代目はその血を分けた息子だというのに、全然、似ていない。晴れている日は、いちおう挨拶には出てくる。しかし雨が降ったりすると、犬小屋にじっとうずくまっている。冬場など、餌を食べている姿以外、見たことがないというのである。
出勤の際、犬小屋にむかって、
「いってくるよ」
と声をかけてみたことがあった。しかし犬は出てこない。もう一度、
「いってくるよ」
といってみた。それでも出てこない。頭に来た彼が、犬小屋の前に仁王立ちになって、
「出かけるぞ」
と怒鳴ってみた。すると小屋のなかに丸まっていた犬が、鬱陶《うつとう》しそうに頭を上げ、そのままの姿勢で尻尾を、二、三回左右に振った。そして再び、寝てしまったというのである。
「犬だって、人間にへいこらしているばかりじゃありません」
犬好きの彼は、必死に犬の弁護をしているつもりだったようだ。しかしそんな犬を見て犬嫌いが犬好きになるだろうか。自分の都合しか頭のなかにないその犬も、なかなかいいキャラクターではあるが、嫌いを好きにかえてしまう、不思議なパワーがある猫のほうが、やっぱり私はえらいと思うのである。
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