うちで飼っていた動物の話を書くと、
「猫のトラちゃんたちの写真はないんですか」
と聞かれることがよくある。
「写真は撮ってないんですよね」
というと、不思議そうな顔をされることが多い。
「動物を飼っている人は、みんな自分の家の動物の写真を撮っているのだとばかり思ってました」
といわれてしまったのである。
私は猫の写真集には、ほとんどといっていいくらいに興味がない。猫は動いてこそいいのであって、いくらかわいい顔をしていても、写真ではちっとも面白くないのである。
今まで見たなかで、いいと思うのは武田花さんと、吉田ルイ子さんが撮った本。そして「猫めくり」くらいで、あとの写真集は、私にとってはどうでもいいものなのだ。
最近はどうだかしらないが、私が二十代のころは、早々と結婚して出産した友だちが、自分の赤ん坊の写真を年賀状にして送りつけてくることが多かった。これほど迷惑なものはなかった。
「ダイスケは一歳半になりました」
などと書いてあるのだが、私は赤ん坊のてかてか光った、つやのあるブタまんじゅうみたいな顔を見ても、
「かわいい」
とも何とも感じなかった。それよりも図々しく自分の子供の写真を送りつけてくる神経を疑っていた。それも年に一回だけならともかく、暑中見舞いも赤ん坊の写真入りである。年賀状では暖かそうなセーター。暑中見舞いではお洒落なアロハをブタまんに着せて、季節感を演出しているのだが、彼らは季節の挨拶よりも自分の子供の自慢をしたいがために、はがきを出しているのであった。
「夫婦で勝手に喜んでいりゃあいいのに、他人にまで押しつけないでもらいたいもんだ」
私はいつも二、三通はやってくるそれらの写真入りのはがきを手にすると、お年玉つき以外は、真っ先にごみ箱行きにしていたのだった。ああいうのは許せないと、意見の一致をみている私と女友だちは、
「押しつけがましくて、鬱陶《うつとう》しいったらありゃしない」
とみんなで文句をいっていた。ところが、女友だちは、自分の家で犬や猫を飼っていて、赤ん坊には冷淡だが、自分の家の犬や猫を同じくらい溺愛しているのである。
あるときそのなかの猫を飼っている人から、電話がかかってきて、
「うちの猫の写真を、猫のカレンダーに応募するから、送る前に写真をチェックしてくれない」
という。彼女の飼っているのは真っ白くてとてもきれいな猫である。体も大きくて性格もよい。
「採用されたら、掲載料の代わりに三部くれるんだって。そうしたら絶対あなたにも贈呈するわ」
とやる気まんまんなのだ。
翌日、私は彼女のところに行き、写真を見せてもらった。写っている猫はおっとりとこっちを見ていたり、あくびをしていたり、緊張している様子などみじんもない。
「小細工すると、ウケ狙いみたいであざといじゃない。だから私は自然な姿で勝負しようと思うのよ」
どれもこれも猫の性格のよさがにじみでているような写真であった。
「実はね、とっておきのがあるの」
彼女はにたっと笑いながら、奥から写真パネルを持ってきた。何とそこにはまるで生き物とは思えない、単なる毛皮の固まりが写っていた。それはこの白い猫が、猫松状態になった写真であった。猫松というのは、腹這いになった猫を後ろから見ると、中央に胴体の大きな山、左右に足の部分が盛り上がり、まるで松のようにみえるから、猫松というのだそうである。ところがこの猫は真っ白いために、よくよく見ないと、一体何なのかちっともわからないのであった。
「ねえ、まるでゴルビーがかぶってる、帽子みたいでしょ」
そういわれれば、色は違えど形はそっくりである。
最初、普通サイズでプリントしてもらったのだが、あまりにこれがよく撮れてしまったので、彼女は近所の写真屋さんに行って、引き伸ばしてもらうことにした。二倍くらいの大きさになればいいと思って注文したのに、写真を取りにいったら、ものすごくばかでかいものが出来上がっていた。
「こんなに大きいのはたのんでいません」
というと、店のおじさんは、
「私も猫が大好きでね。この写真はこのくらい大きくしないとつまらないでしょ。お金はいいです。おまけしときます」
という。そのうえ自分が撮った猫のアルバムまでみせてくれたのだそうだ。
「その猫がみんな不細工なのよ。でも本当のことをいったら悪いから、『まあ、かわいい』って誉めておいたわ」
どんな不細工な猫でも、飼い主は自分の家の猫がいちばんかわいいと思っているから、他人に、
「ひどい顔」
などといわれると、自分のことをいわれた以上に頭にくるものだ。飼い主はお互いにそれがわかっているから、
「まあ、かわいい」
といって、その場をとりつくろう、暗黙の了解が出来上がっているのである。
「応募規定があって、写真は何枚でも送っていいんだけど、一枚、一枚、裏に住所と名前を書かなきゃならないの」
送るばかりになっている写真の裏には、全部に住所と名前が書いてあった。
「会社から帰って、全部をやり終わるのに、夜中の三時までかかっちゃって、自分でもちょっとバカだと思ったわ。子供の写真を送りつけてくる夫婦と同じよね」
彼女はおみやげとして私に「ゴルビーの帽子」の写真の普通サイズのものをくれた。今、私の机の前には、ゴルバチョフ来日記念として、こちらに尻を向けた「ゴルビーの帽子」の写真が、貼ってあるのである。