年配の人のひとり暮らしには、動物を飼うといいそうである。その第一の理由として、寂しさをまぎらわせ、話し相手になるという利点があるようだ。たしかに年をとって、周囲に誰もいなくなったときの寂しさというのは、今の私などが想像しようと思っても、容易に想像できるものではない。それが動物を飼うことでまぎらわされるのなら、それでいいのかもしれないが、あまりに動物に自分の気持ちをいれ込みすぎると、とんでもない結果になるような気がするのである。
私の知り合いから聞いた話だが、六十代前半の女性が、セキセイインコを一羽、飼っていた。彼女は三十歳のときに、幼い子供が二人いる男性のところに後妻に来たのであるが、結局、自分の子供は持つことはなかった。幼かった二人の子供も、結婚して次々に家を出ていき、ほっとしたのもつかの間、舅《しゆうと》と姑《しゆうとめ》と同居することになった。そしてしばらくして、舅が亡くなった。自分の両親も亡くなり、姑も亡くなった。そしてこれから夫婦二人で、静かに暮らそうとしていた矢先に、夫も亡くなった。彼女はマンションにひとりきりになってしまったのである。子供とはいっても、血のつながりがないために遠慮があったのか、内気な彼女は彼らの家に遊びに行くこともせず、日々の買い物にでかける他は、じっと部屋のなかに籠っていたのだった。
あるとき、彼女はたまたま駅前のペットショップでインコのヒナを見つけた。頭が大きくてずんぐりしていて奥目で、妙にかわいい顔をしている。彼女は喜んでヒナを買ってきた。ピーコと名前をつけて、毎日、餌をやって溺愛していた。すべてピーコ中心で、まるで我が子のように扱っていたのだが、ピーコは寿命が来て死んでしまった。すると彼女は、
「ピーコと別れるのが辛い」
といって、亡骸《なきがら》を冷蔵庫のフリーザーにいれたまま、ずっと冷凍保存しているというのであった。
「どひゃー」
さすがの私も、その話を聞いてぞっとしてしまった。たしかに彼女は気の毒な部分もある。同じような立場になっても、ざっくばらんな性格の人だったら、血のつながらない子供であっても、気にしないで付き合うこともできたのだろうが、遠慮がちな人だという話であるから、そういうこともできなかったのだろう。しかし亡くなった動物の体を、フリーザーに冷凍保存する感覚には、びっくりした。その事実を目撃した私の知り合いも、腰を抜かさんばかりに驚いて、
「動物はやっぱり土に返してあげたほうがいいから、そんなことをしていると、いつまでたってもピーコは成仏できないよ」
と一所懸命に説得した。ところがいくらいっても、彼女は、
「ピーコと別れたくない」
といってさめざめと泣くばかりであった。ふつうに考えると、フリーザーのなかでかちかちに固められているよりも、体は腐っても土に返ったほうが、よっぽどいいと思うのだが、彼女はとにかくピーコの原形がなくなるのが嫌だといってきかない。
「動物のお墓もあるし、そこまでしなくても、野原か公園の木の根元にでも埋めて、お花でも供えてあげたら」
とあれこれ提案しても、首を縦に振らないので、知り合いの人もあきらめて、
「好きなようにしたらっていって、帰ってきた」
と困りはてている様子であった。
たしかに飼っていた動物が亡くなるのは悲しいものである。私も亡くなった動物の姿は今でも思いだす。そして、
「あのときは手をひっかかれた」
などと、どうでもいいようなことばかりが頭に浮かび、
「あいつは面白い猫だった」
とつぶやいたりするのである。ところがなかには、思い出だけではなく、剥製《はくせい》にしてその姿を残しておく人もいるらしい。私もテレビで、飼っていた犬や猫を剥製にして応接間に置いている人を見たことがあるが、それは私から見ると、異様に薄気味が悪くて残酷な代物だった。
「こんなことをして、犬や猫が喜ぶのだろうか」
と怒りたくなった。ありがた迷惑とは、こういうことではないかと思ったりもした。
もしも私が猫を飼っていて、それが亡くなったときに、
「剥製にしませんか」
といわれたとしても絶対にやらない。お金を貰っても嫌だ。死んだ体に鞭打つような気がするからだ。しかし世の中には、いろいろな考え方の人がいるから、飼っていた動物を剥製にしても、
「これでいつもポチと一緒にいられるわ」
とうれしくなる人もいるのだろう。動物の飼い方は人それぞれだから、他人がとやかくいう問題ではない。だけど友だちの家に遊びに行って、
「これがこの間、亡くなったジョンなの。剥製にしてもかわいいでしょ」
とかいわれて、人形ケースを指さされたりしたら、逃げて帰ってしまうと思う。私にとっては一緒に暮らした動物を、死んでもそのままの姿で残すなんて、ホラー映画よりも薄気味悪いことなのである。
動物が嫌いな人よりも、動物が好きな人の方が、より動物に対して残酷じゃないかと思うことがある。自分は動物好きだという自信や傲慢《ごうまん》さが、知らず知らずのうちに動物を傷つけているのではないかと不安になることもある。動物好きな人は優しいというのは嘘である。動物が好きだが、性格の悪い奴に私はたくさん会った。寂しいから動物を飼うという動機にも、首をかしげる。結婚と同じで自分の気持ちを、きちんとコントロールできない人は、他の生き物と暮らしたって、あまり上手く行かないのではないだろうか。相手の気持ちも考えずに、自分の気持ちばかりをまぎらわせてもらおうとすると、ろくなことにならない。そう思い始めるとだんだん自信がなくなってくる。そして私は一生、動物に対して申し訳ない飼い方しかできないような、気になってしまうのである。