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ネコの住所録35

时间: 2020-02-08    进入日语论坛
核心提示:カエルだって鰻だってひところ爬虫《はちゆう》類を飼うことがブームになって、それについていろいろな意見が出ていた。「体臭が
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カエルだって鰻だって

ひところ爬虫《はちゆう》類を飼うことがブームになって、それについていろいろな意見が出ていた。
「体臭がないからいい」「姿が恐竜みたいで好き」「鳴かないから都会のマンションにぴったり」という大好き派と、「あんな不気味な毛の生えていないものを、よく飼える」という敬遠派がいて、まさに「蓼《たで》食う虫も好き好き」といった様相を呈していた。
私が小さかった頃、同級生に鳩好きな男の子がいた。大きな鳩舎まで作ってあって、なかで「おぽおぽ」と無数の鳩が鳴いていたが、私は鳩をどうしてあんなにたくさん飼うのか、わからなかった。しかしハトの世話を一手にひきうけていた彼は、まるで自分が産んだみたいにかわいがり、床に岩石みたいに固まったフンを掃除したり、
「チビ、タロウ、元気か」
などと、私から見たら全部同じ顔に見える鳩に声をかけたりする。彼の着ているセーターには、いつも鳩の羽根があちらこちらについていて、体から鳩のにおいが漂ってきたものだった。こんな鳩少年が必ずクラスにひとりはいたような覚えがある。
同じクラスの高慢ちきな金持ちの女の子は、
「うちにはローラーカナリアがいるのよ、スピッツもよ」
と自慢して、私たちを圧倒した。カナリアとスピッツは、金持ちが買う定番動物であった。私たちはそれを聞いて、ちぇっと舌打ちしながらも、ローラーカナリアが見たくて、ぞろぞろと彼女の家に行ったのだった。
「ほら、これよ」
応接間に置いてある真っ白い鳥カゴを指差して、彼女は胸を張った。黄色とオレンジ色の中間のような、夢みたいな色のカナリアが、釣り鐘のような鳥カゴの中で、「ロロロロロ」と鳴いていた。
「もっといい声でも鳴けるんだよ、ほーら、ジュリーちゃん、歌ってごらん」
彼女は鳥カゴに顔を押し付けて、猫なで声でジュリーちゃんにいった。ジュリーちゃんはそれがわかったのか、さっきよりもまして声を張り上げ、「ピロロロ、ピロロロ」と得意になってさえずり始めたのである。
「すごいでしょ」
彼女はそっくり返った。私たちは内心、面白くなかったが、うんとうなずかざるをえなかった。
「ほら、スピッツもいるよ。リリちゃん、ご挨拶してごらん」
私たちはまた、ちぇっと舌打ちしながら、リリちゃんがこうるさく、キャンキャン鳴くのをじっと聞いていたのであった。
当時、私の家で飼っていたのは、汲み取り便所に落ちて片脳油《へんのうゆ》でくらくらしながらも、無事生還した文鳥のピーコと、羽の色もやたらに地味な、十姉妹のゴンタ、ハルちゃんであった。どちらもローラーカナリアの足元にも及ばない鳴き声しか出さなかった。特に十姉妹のほうは、時折、
「ブイブイ」
などと鳴いたりして、私を暗い気持ちにさせたのである。
カエルに執着しているテルコちゃんという女の子もいた。飼育ケースに入れているのではなく、庭に野放し状態で飼っていたのである。ところがケロちゃんという名のそのカエルが、なかなか冬眠しない。彼女が親に相談すると、両親も、
「ケロちゃんが死んだら大変」
と心配して、庭の隅に枯れ葉をこんもりと盛り上げ、ちょっと穴も掘っておいた。自分でやる気がなさそうなので、マメな彼女のお父さんが、準備万端整えてやったのである。そのせいかどうかわからないが、ケロちゃんはしばらくしてから姿を消した。
「ちゃんと冬眠したのかねえ」
事あるごとにケロちゃんの動向を気にしているうちに、年が明けて春になった。しかしケロちゃんは姿を見せない。冬眠をし損なって、こごえ死んだのではないかと気を揉んでいると、お母さんが縁側の靴脱ぎ石の上にいる、ケロちゃんを発見した。それも子供らしき、小さなカエルを従えていたというのである。今から思えばそれは子供ではなく、伴侶ではないかという気がするのだが、当時は、
「ケロちゃんが子供を連れてきた」
と大騒ぎになった。私たちはその話を聞いて、彼女の家にケロちゃんを見にいったが、別にどうということない、ふつうのカエルだったが、ケロちゃんのことを話すテルコちゃん一家の表情は、まるで赤ん坊に対する態度と同じだったのである。
このように人によって、かわいがる動物はさまざまであるが、今までで一番びっくりしたのが、鰻を溺愛していた人がいたことである。半年ほど前、たまたま雑誌の投稿を読んでいて、目についたのだが、手紙の主は中年の女性で、文面は、
「先日、かわいがっていた、鰻のうなちゃんが死んでしまいました。私たち夫婦はしばらく、ショックで食事も喉をとおりませんでした」
で始まっていた。私は鰻を養殖している人が投稿しているのかと思ったが、そうではなかった。彼らは純粋に愛玩用に飼っていたのである。数年前にもらってきた生きた鰻を、かばやきにして食べるのがしのびなくて、飼い始めたということであった。
「私たちになついて、とてもかわいかったんです。子供同然でした」
ともあったが、鰻が人間になつくという状態が、いまひとつ私にはわからなかった。長い胴をくねらせて媚びるのか、すりすりとすり寄っていくのかわからないが、確かに飼い主には、鰻のうなちゃんが喜んだり、機嫌が悪かったりするのがわかるらしい。
「うなちゃんは私たちと生活をして、楽しかったかどうかわかりません。だけどかばやきにされなかっただけ、よかったのではないかと思うことにしています」
このような文章で投書は結ばれていた。どんな動物を飼っていようと、死んだときは飼い主は悲しい。犬や猫が死ぬと、他の犬猫を見ても涙がじわっと出るように、この夫婦も鰻のかばやきを見たら、うなちゃんのことを思い出して、涙がじわっと出たりするのだろうと、ふと考えたのであった。
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